[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]現実と虚構の狭間で記憶が嘘をつく @kun_maa

その日僕は友人と一緒に屋上に閉じ込められた。

当時住んでいた団地の向かいにある雑居ビルの屋上だった。

なぜそこに行き着いたのか記憶はない。

あれは幼稚園の頃だからたぶんいつもの探検ごっこの延長だったのではないだろうか。

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屋上に続く狭くて薄暗いコンクリの階段と出入口が引き戸でクレセント錠だったことを覚えている。

鍵を開けて屋上に忍び込み僕らは暫しちっぽけな冒険心を満足させた。

ところが戻ろうとして扉に手をかけても動かないことに気がついた。なぜかクレセント錠が下りて鍵がかかっていたのだ。

何が起こったのか飲み込むのに時間がかかった。

なぜ他に誰もいない屋上でそんなことになったのかは今でもわからないのだけれど。

 

その日僕は両親とどこかへ出かける約束をしていてあまりのんびりとはしていられなかったのでとても焦った。

そのビルの屋上に勝手に行ってはいけないという禁を破った自分たちのささやかな冒険が露見することへの恐れと約束の時間までに帰宅できないことで親に心配をかけるという申し訳なさとが同時に押し寄せた。

 

少し遅れてもしかしたらこのままここから出られないのではないか、もう二度と親に会えないのではないかという恐怖心に襲われたのは扉をガタガタと揺すったり叩いたりしても何の変化もないとわかったときだった。

急に心細くなった僕らは泣きながら扉を叩き続けたがもちろん扉が開くことも泣き声に誰かが気づいてくれることもなかった。

 

しばらくしてあきらめと疲労からその場に座り込みじりじりと容赦なく照りつける夏の日差しに焼かれながら僕はこのまま死んじゃうのかも...って思ったのを覚えている。

横で同じように座り込んでいる友人の表情は固まりぐったりとしていた。

ふとダメ元でもう一度と手を伸ばして扉を動かしてみると横にスッと動いた。

驚いてクレセント錠を見るとなぜか解錠されていたんだ。

 

薄暗い階段を転がるように夢中で駆け下りて僕らはそれぞれの家へ逃げ帰った。

あの日なぜこんなことになったのか僕にはずっとわからなかったし助かった理由もわからないまま。

ただ世の中にはこういう不思議なこともあるのかなともやもやとした気持ちを心の片隅に残したまま僕は大人になった。

 

先日両親と酒を飲んだときに母から僕が幼稚園に上がるまで住んでいた町に久しぶり行ったのだという話を聞いた。

僕は覚えていないのだけれど昔とは随分町の景色も変わってしまったようだった。

懐かしそうに語るその町の話の中である出来事を僕に話してくれた。

 

まだ幼稚園に上がる前だから3歳くらいの頃。

父方の祖父母が上京してくるので両親と一緒に東京駅に迎えに行くという日、そろそろ家を出なければ迎えの時間に遅れてしまうというのに僕は帰ってこなかった。

家の前で一緒に遊んでいたはずの年上の男の子と2人でさっきまで声がしていたのにいつの間にかいなくなってしまったらしい。

両親とその男の子の母親とで近所を手分けして探し回っても見つからなかったそうだ。

当時住んでいた町には戦時中の旧陸軍の古い施設がまだ残っていてもしかしたらそこに入り込んでしまったのかもしれないと思った父が施設内を探しまわり地下の部屋に閉じ込められて泣きじゃくっている僕らを見つけたのだという。

 

そんなこと全然覚えてないなと僕は両親に言った。

でも何かが引っかかった。

この変な感じはなんだろうと不思議に思った瞬間に頭の中でいろんなことがつながってまるで厚い壁が崩れて中に隠されていたものが露わになったような驚きと不安な気持ちに包まれた。

 

冒頭に書いたビルの屋上に閉じ込められた僕の記憶の中で時々自分ではない第三者的な視点から風景が見えていたことや前後の記憶のあやふやさや屋上への出入口が引き戸でクレセント錠だったことなどの不自然さが今聞いたばかりの話の状況と結びついた。

もっと幼い頃に屋上ではなく地下室に閉じ込められたというのが事実だった。

どうやらずっと僕の心の片隅でもやもやと燻っていた記憶は僕自身が創り出した虚構だったようだ。

どうして事実と虚構の間で記憶の捏造が行われたのかその理由はわからない。

実際の出来事を封印したいという逃避の気持ちが機能していたのだろうか。

それとも小さい頃に両親から同じ話を何回も聞かされているうちに架空の物語を妄想してしまっただけなのか。

 

自分では確実な記憶だと思っていることに突然あっさりと裏切られたりするからさ。

僕と同じようにもやもやとする記憶が心の片隅に残っている人は一度その記憶を疑ってみるのもいいかもしれない。

その結果パンドラの箱が開かれても責任は負えないけどね←無責任

 

そんなことを言っている僕も、実はこの虚構の記憶にまだ引っかかるところがあってそれをうまく言語化できないでもやっとしているのだけどその一方でもう深掘りするのはやめとけって警告音が奥底でなっているような気がして足が竦んでいるんだ。 

脳はなぜ都合よく記憶するのか 記憶科学が教える脳と人間の不思議

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