最近立て続けに街角で不意に中国語に囲まれることがあって。
周囲からは携帯電話に話しかける中国語しか聞こえてこなくて風景は確かに見慣れた日本の地方都市なのだけど僕はいったいどこにいるのだろうと不安になった。
声調がある言語の響きが僕は好きなので中国語に囲まれること自体は別段嫌なものではない。
どうせなら中国語よりも音が優しくてやわらかいタイ語の方が聞きたいなあとか思うんだけどね。
外国に出かけなくなってもう4年以上になる。
あれほど恋い焦がれたタイに対しても熱が冷めてしまったというのかクラフトビールに傾倒するあまり相対的に優先順位が下がったというのか今ではタイに行くことはアメリカに行って美味しいクラフトビールを飲みたいってのと僕の中では同列もしくは下位に位置付けられている。
もちろんタイの市場の喧騒や地方都市ののんびりとした空気に飛び込めば今でもクラフトビールを愛でるのとは全く別の楽しみに包まれるであろうことはわかっている。
端的に言うと僕には今そこへ飛び込むエネルギーがない。
かつて自分を突き動かしていた情熱が消えてしまったみたいだ。
それが加齢による好奇心の枯渇なのか日々の生活に倦んでメンタルや体力的な部分で余裕がなくなっているのかはわからない。
そんな原因の追及は置いておくにしても自分が暮らしている自明の生活圏から別の文化に飛び込んでその状況を楽しむこと、つまり旅をするにはそれ相応のエネルギーがいるのだ。
自分がこんなだからというわけでもないのだけどもし「いつか」「そのうち」とか「老後の楽しみに」とか少しでも異文化に飛び込んでみたいと思っているのなら先送りにしてそのいつになるかわからない時を待つのではなくてさ。
行きたいって思えるうちに旅に出た方がいいよねって思うんだ。
あふれるほどの情熱もいつまでも続くと思えていた好奇心も笑っちゃうくらいあっさりと失ってしまうものかもしれないよ。
こんなこと言ってると随分年寄り臭くなっちゃったな...とか自分で驚いてしまう。
僕はもしかしたらもう手遅れかもしれないけれどそれでも好奇心の波長を見つけたらしっかりとつかまえて離さないようにしたいなと思っているんだ今でもさ。