いよいよ3月も押し迫ってきて、春の人事異動の内容があらかたわかってきた。
自分が望まない転勤をすることになりそれで別に偉くなるわけでもなんでもないのだから他の人の情報なんてわざわざ知ろうとしなくても良さそうなものなのについつい色々聞きまわってしまう。
結果落ち込んでいたら世話ないよね。バカなの?
自分と同期入社した連中が次々と出世していく情報ばかりが耳に入り目に飛び込んでくる。
後輩たちが自分に追いつき追い越していく様をまざまざと見せつけられる。
この時期になると思い起こすのがこの歌だ。
友がみな我よりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ 石川啄木
自分がちっぽけで愚かな取るに足らない人間に思えてしまう。
なけなしの自尊心がすり減っていく。
こんな時に「自分は自分」だという振れない軸をしっかりと持つことができたならどんなにいいことだろうか。
結果を出している人はきっと僕なんかとは比べものにならないような努力をしてきたのだろうし僕が挫けて諦めてしまうようなことにも果敢に挑んだのだと思う。
それはわかっているんだ。
わかっているけどもやもやとした気持ちが膨らんでどうしようもないことがある。
他人を羨んで自分を蔑んでしまう夜がある。
運の悪さのせいにしてしまうことも。
啄木の歌のように特別ではないありふれた花や家族に癒しを求めてみるのもいいかもしれない。
そんなことを思いながら素直になれずに毎年悶々としている。
悶々としているくせに仕事で辛い目にあうのは嫌がり努力をすることにも積極的になれないのだから友がみなえらく見えるのは当然のことであり自業自得の極みなのだ。
くよくよと自分の現状や不遇を呪うだけならきっとどこへも行けはしないとわかっているのに抑えきれない感情に打ち負かされて妬みとやっかみと疲労感だけが増していく痴れ者とは我のことなり。