多くの生物は生存競争を生き抜いて子孫を残すことに創意工夫と努力を捧げて生きているように見える。テレビのドキュメンタリー番組なんか見ているとそんな面がやたらと強調されているように感じることも多い。
それは弱肉強食の世界と呼ばれたり、適者生存の世界と呼ばれたり。
ちなみに適者生存とは環境に最も適応した生物が生き残るということなので種や個体の強弱とは関係ない。捕食者が適者で被捕食者が非適者ということには必ずしもならないのであり弱肉強食=適者生存というわけではない。
適者生存の「適者」についても個体間の競争結果に重きをおくのか個体の備えているスペックに重きをおくのかで個体の努力が報われる可能性があるのか決定論的に自ずと結果は決まっているのかという考え方の違いもあるんだろうけどさ。有名なダーウィンさんは自然選択説だから個体の努力は関係ないのかな、たぶん。
ところで僕はといえば子供の頃から競争が嫌い。
他人と争うのが性に合わないんだよね。まあ他人と協調する集団行動の類も苦手だったから社会不適合者なのかもしれないんだけどさ。
受験や就職も競争なんてめんどくさいから入れるところに入ってお茶を濁すって感じ。就職してからはちょっとくらい出世もしたいなって思ったけれどあからさまに他人を蹴落としてまで偉くなりたいわけでもなかったしほどほどがちょうどいい感じで居心地がいいんだ。生存競争なんてしているよりも自分が楽しい方がいいじゃん。
生物は遺伝子の乗り物に過ぎないって言ったのはドーキンスさんだったっけ。利己的な遺伝子。この「利己的」ってのは自己の遺伝子の生存と繁殖率を他者よりも高めるってこと。つまり他者と争って奪ってでも自分だけが生き残って増えろっていう利己的な命令のもと生物はその最適解を求めて生きているってことだったかな。
間違ってたらごめんね。
そんな考えのある中「ヒトは遺伝子の命令から自由になれたはじめての生物である」って言ったのは「動的平衡」とかの著者で生物学者の福岡伸一さん。
彼は「(ヒトは)子孫を残すことだけが生物種にとって唯一の目的ではなく、むしろ個体の生の充実に意味を見いだした」って説いているんだ。
彼は次のような言い方もしているね。
「ヒトは長い歴史の中で唯一遺伝子の呪縛から脱することができた生物である。遺伝子の呪縛とは『争え・奪え・縄張りを作れ・そして自分だけが増えよ』という事。つまり利己的な命令」ってさ。
子孫を残すっていう遺伝子の呪縛と個体の生の充実とどちらにどの程度重きをおくかってのはそれぞれの文化や時代、もちろん個人の生育環境なんかによっても異なるんだろうけど自分に置き換えたらどうなんだろうって。
僕の今の生活なんてほぼほぼ個体の生の充実に重きを置いているし、だからこそ無駄に思える生存競争なんか拒否して自分の楽しいこと(快楽)に突っ走る傾向が強いんだよね。だってにんげんだもの。
そういう意味では少子化が問題だーってたまに思い出したように国が騒いでいるけど、無理に結婚して子供を産んで育てようっていう男女が減るのは必然なのかもしれないよね。
だから国やら地方自治体やらが遺伝子の呪縛的に正しいと思うような今までと変わらない施策をいくら実施しても無駄なんじゃないのって。
そんなに少子化が困るなら個体の生の充実を目指すことが遺伝子的な呪縛にとらわれることにつながるような施策を考えたらどうなのってさ。教えてえらい人。
そんなわけで僕は遺伝子の命令と個体の快楽(生の充実)のどっちを取るのって言われたら圧倒的に個体の快楽って答えちゃうんだけど、よく考えたら僕の行動は個体の快楽を求めているように偽装された遺伝子の命令なんじゃないかって思うこともしばしば。
なかなか難しいね。今日もまとまらず。だってにんげんだも(ry
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