[ま]心にナイフをしのばせて/少年事件と「更正」について考えさせられるノンフィクション @kun_maa
もうかなり前のことになるが、2014年7月26日、佐世保市の公立高校に通う女子生徒が同級生の女子生徒によって殺害された。警察によると遺体は首と左手首が切断されていたということだ。マスコミで大きく報じられたので事件の概要はみなさんご存知のことと思う。
この事件の報道を見てすぐに思い出したのは、同じ佐世保市内で2004年に起きた小6女児同級生殺害事件と1997年に神戸で起きた酒鬼薔薇事件である。
どちらの事件もその異様さと少年法の抱える問題点が話題となり、センセーショナルに報道された。この2つの事件については覚えている人も多いだろう。
しかし、それらの事件よりもはるか以前の1969年に川崎市の私立サレジオ高校で、入学したばかりの生徒が同級生に惨殺され、その頭部を切断されるという事件があったことをご存知だろうか?
僕は本書を読むまで、この事件のことはまったく知らなかった。1969年というと、僕が3歳の頃で、世間的には学生運動の嵐が吹き荒れていた時代である。
事件の発生は1969年4月23日午後4時すぎ、事件現場は学校の裏手のつつじ畑。
殺害されたのは同校に入学したばかりの高校1年生加賀美洋君である。
当初、日本刀を持った見知らぬ男たちの犯行という報道もされたようで、本書にも次のような記述がある。
当時の新聞報道は、少年Aがこう語ったと記している。
<男がいきなりぶつかってきた。ブスッという音がしたとたん、左側にすわっていた加賀美君が血だらけになって倒れた。ぼくは夢中で逃げ、東名高速道のガードにとまっていた乗用車に助けてもらった。学校に来て初めて左腕を切られているのに気づいた。襲った男たちは顔を見たこともない>(1969年4月24日「読売新聞」)
しかし、現場近くの住民の目撃情報などから犯人はこの「少年A」であることがすぐに判明する。警察が発表した解剖所見によると、胸部12カ所、背中7カ所、頭部12カ所、顔面16カ所の計47カ所をめった刺しにされていたという。
そして少年Aは加賀美君を殺害した後に左手で頭部を押さえ、肩から水平に頸部を切り落とした。
少年Aは殺害した加賀美君とは中学時代からの同級生であり、殺害理由は加賀美君とその友人らによる「いじめ」に対する復讐(少年Aの主張)とのことだが、その他の証言からは「いじめ」の実態は浮かび上がらない。
少年Aは複雑な家庭に育ったらしいが、だからといって人を殺していい理由にはならない。
取り残された加賀美君の遺族は家庭崩壊こそ免れたものの、その一歩手前を危うい状態で生き続けてきた。両親も妹も心に癒えることのない傷を負い、それぞれに苦しみながら事件後の数十年を生きた。
本書の大部分は、この加賀美家の人々とその周囲の人たちへの取材により構成されている。読み進めるのが辛くなるほどに被害者家族の負ったものは大きい。そして数十年経った今でも決して癒されることはないのだ。
その一方で、少年Aに関する記述の大半は裁判記録によるものとなっている。被害者の話ばかりを取材して加害者の取材を行わないのは不公平ではないかと、あなたは思うだろうか。著者が加害者への取材を積極的に行わなかったことには3つの理由がある。
1つ目の理由は、過去にこうした異常な事件が起こった場合に加害者のことは語られても被害者の遺族に関心を向けられることがなかったことからきている。微力ながら遺族の声を代弁できないかと考えたことである。
2つ目の理由は少年法の壁である。少年Aは犯罪を犯したとはいえ少年法により厚く保護され「更正」の道を歩んだ。連絡先を知ることも難しい。
そしてたとえ少年Aの居場所がわかったとしても彼のその後を知るためには周囲の人間への取材が欠かせないが、そのことは既に「更正」している少年Aが殺人犯であることを周囲に知らしめることとなってしまう。少年法第60条に次のように定められている。
少年のとき犯した罪により刑に処せられてその執行を受け終り、又は執行の免除を受けた者は、人の資格に関する法令の適用については、将来に向つて刑の言渡を受けなかつたものとみなす
だから、少年の犯罪は「前歴」にはなっても「前科」にはならないのである。少年院で刑に処せられた少年Aのプライバシーは法的に保護され、過去を知らない人々にAの過去を知らせることはできないのである。
当時、少年院への収容期間は最長5年間だった(今は撤廃されている)。しかし実際の運用では、その当時の少年院の最長収監期間はわずか2年5ヶ月である。
人を殺してもそんなわずかな期間自由を奪われるだけで、その後は国によって新たな人生のスタートが約束されるのである。うかつに取材活動はできない。
3つめの理由はこうだ。著者はもしAのことを詳細に取材することができたとしても、Aの「心の闇」を理解することはできないと感じていたからだ。そのことについて次のような表現をしている。僕も基本的にその考えに賛成である。
神戸の「酒鬼薔薇」事件のように、異常な事件が起こると、われわれはさまざまな角度から、犯人の心理を忖度しようとする。しかし私は、異常な犯人の心理など到底理解できるはずがないと思っている。異常な心理を理解できるのは、その人が異常だからだ。普通の人にできるのは理解する努力をするまでで、われわれには努力をしてもその先に空疎な闇が広がっているだけで、わかり得るはずがないのである。
だから、著者はとことん被害者遺族に寄り添った。辛い心情やトラウマ、事件後の人生のすべてを書き出すかのように。
犯罪を犯したAがその人生をリセットして国の保護のもと大学を卒業し、弁護士となりその人生を謳歌している一方で、被害者遺族は40年以上もの間苦しみ抜き、心に深い傷を負い人生をめちゃくちゃにされたともいえる。
そして示談で支払われることになっていた微々たる慰謝料も払われることはなく、Aには事件のことを謝罪する気持ちすらまったくない。
これが、本当に正しい「更正」の在り方なのだろうか?
著者は最後にこのように述べている。僕も同感である。
ごく単純なことだが、Aが「更生した」といえるのは、少なくとも彼が加賀美君の遺族に「心から詫びた」ときだと思う。「更正」とは、そのとき遺族が加害者のAを許す気持ちになったときにいえる言葉ではないだろうか。
もちろん少年法は、遺族に謝罪することを義務づけてはいない。それゆえ、法律上は彼が謝罪しなかったからといって非難される筋合いのものではない。だが、どこかがおかしい。少年法を盾に、加害者もその親も責任を免れるとしたら、やはり少年法のどこかが間違っているのだ。
やはり何かがおかしい、間違っている、そう思わざるを得ない。
そして酒鬼薔薇事件でも取りざたされたこのような少年犯罪の「更正」の在り方が、これからも変わらず、同じような事件で繰り返されていくのだろうかと思うと心底やりきれない。
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