俳句と聞いて何を思い出すだろうか。
僕は松尾芭蕉、小林一茶など著名な俳人の名前くらいしか思い浮かばなかった。俳句そのものに触れる機会もないし俳句というものにほとんど興味がなかったのだ。
「俳句への挑戦」
この日本には、いじめられている人がたくさんいる。
僕もその中の一人だ。いじめは一年生から始まった。
からかわれ、殴られ、蹴られ、時には「消えろ、クズ!」とののしられた。それが小五まで続いた。僕は生まれる時、小さく生まれた。「ふつうの赤ちゃんの半分もなかったんだよ、一キロもなかったんだよ」、とお母さんは思い出すように言う。
だから、いじめっ子の絶好の標的になった。危険ないじめを受けるたびに、不登校になってしまった。そんな時、毎日のように野山に出て、俳句を作った。
「冬蜘蛛が糸にからまる受難かな」これは僕が八歳の時の句だ。
「紅葉で神が染めたる天地かな」この句は、僕のお気に入りだ。
僕は学校に行きたいけど行けない状況の中で、家にいて安らぎの時間を過ごす間に、たくさんの俳句を詠んだ。僕を支えてくれたのは、俳句だった。不登校は無駄ではなかったのだ。いじめから自分を遠ざけた時期にできた句は、三百句を超えている。
今、僕は、俳句があるから、いじめと闘えている。
これは本書の冒頭に書かれた著者である小学生の俳人小林凛君の文章である。
とても小学生が書いた文章とは思えないリズム感と読みやすいテンポが備わっていて、素直に気持ちが伝わってくる文章だ。
本書の著者である小林凛君は2001年5月、予定よりも3ヶ月も早く944グラムの超低体重児で生まれた。医師からは「命がもつか、まず三日間待ってください」と言われたそうだ。何度も入退院を繰り返し、水頭症の疑いもあることから年に1度はMRI検査を受けなければならない。
彼は4歳の頃から誰に教わることなく、五・七・五の17文字で自分の思いを表現するようになったという。
そんな彼を待ち受けていたのは小学校での過酷ないじめと、それを見て見ぬ振りをする学校の実態だった。彼にとって頭部への打撲は命取りであり、危険から身を守るためにも不登校という選択をせざるを得なかったという。
本書には、彼が8歳から11歳の間に詠んだ俳句が載っている。彼が自ら描いた絵とともに紹介されているものもある。俳句も絵もとてもじゃないが僕にはマネのできない素晴らしさだ。なんていうか、技術的なことはよくわからないけど作品の持つエネルギーが胸を打ち直接心に問いかけてくるといったらいいのだろうか。
僕は最初にも書いたとおり俳句には興味がなかったし、子どもの頃から授業で俳句を習っても苦手意識が先行してしまった。
句を詠むことはもちろんできないし有名な句を見ても想像力が足りないせいか情景が全くと言っていいほど浮かばないからだ。
でも本書で彼の俳句に触れた時、その言葉の瑞々しさと表現力の鋭さに驚かされた。
僕にも情景が浮かんできた。
そしてなによりも過酷ないじめにあうという苦境にありながらも、決して荒んだり卑下することなく心の豊かさと感受性を失わない芯の強さに驚かされた。
次に挙げるのは僕が好きな彼の俳句の一部だ。
「苦境でも力一杯姫女菀」
「蓮の花祖父を送りて沈みけり」
「紅葉で神が染めたる天地かな」
「肩並べ冬のアイスに匙ふたつ」
「飼い犬のムンクの叫び寒空に」
「夕焼けやもう居ぬ祖父はどの雲に」
「いじめ受け土手の蒲公英一人つむ」
「いじめられ行きたし行けぬ春の雨」
「生まれしを幸かと聞かれ春の宵」
俳句で泣けることってあるんだな。
初めてそんな経験をした。

ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨--11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと。
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