僕がまだ社会人になりたての頃、ある人から生命保険を意識し、契約したときに青春は終わるんだよって言われた。
その頃は「ふ〜ん、そんなもんなのかな」って全く実感がわかなかったのだけど、今ならなんとなくその意味がわかる。
生きていくことに経済的な考え方が入り込んでくること。
もっとストレートにいうと自分の命に値段をつけて、生死を賭けの対象とすることが、良くも悪くも無茶なことを後先考えずにできた青春ってものにピリオドを打つんだろうなって思う。
なんか言葉にすると青臭くて嫌なんだけど、生命保険に入るってぶっちゃけそういうことでしょ。
それと同じ意味合いにおいて、恋愛でサンクコストを意識するようになったときに、ひたすら恋しくて愛しくて胸が張り裂けそうな気持ちに包まれた恋愛は終わる。
サンクコストってのは英語で Sunk Costs
知っているかもしれないけどその意味は次のようなもの。
投資、生産、消費などの経済行為に投じた固定費のうち、その経済行為を途中で中止、撤退、白紙にしたとしても、回収できない費用を指す。経済学の概念であり、「埋没費用」と訳される。
つまり恋愛に対して費やしたお金や時間や労力を惜しんだり、「損したー!」って思ったときに、恋しい人のことだけを考え、その幸せだけを望んでヒリヒリと焼け付くような想いをした恋は消え去る。
ただただ恋しくて切なくて自分のことは二の次にして恋しい人のために生きようとする気持ちは経済的な概念の前になす術もなく消え失せるのだ。
その恋愛で「自分が」損をしたと思う気持ちのために相手のことを想う心が歪む。
どの時点で諦めて「損切り」をするのか。
それともサンクコストを取り戻そうとしがみつき、サンクコストの呪縛に囚われてぐちゃぐちゃの愛憎劇を繰り広げるのか。
いずれにしてもそこにはもう、あのうれしくて楽しくてちょっと恥ずかしくて、幸せで時に切なく苦しむ恋愛の姿はない。
自分がいかに損をせずに得をするかという計算しか働かない自己への執着に満ちた恋愛は哀しく、虚しさしか見えず燃え上がることはない。
僕はそんなものを恋愛とは認めない。認めたくない。
自分はどうなってもいいから相手に幸せになってほしいと願う気持ちは、サンクコストを意識した計算ずくの疑似恋愛からは決して生まれない。
そいう意味でサンクコストを意識したときに純粋な恋愛は終わる。
それはとてもやるせなくて悲しいことだと僕は思う。
だから僕は「婚活」だの「恋愛に求める相手の条件」なんて打算的な意味が見え隠れする言葉が好きになれないのかもしれない。
え?最初からコストを意識しない恋愛なんて存在しないって?遺伝子レベルで損得考慮の上で成立するのが恋愛感情だって?
本気でそう思っているのならあなたは恋愛の楽しみも苦しみも知らないかわいそうな人だと僕は思う。
そしてもしかしたらそれは同時に人生の勝ち組(古いか!)であって、それはそれで幸せなことなのかもしれないねって思ったりもする。
それでもあえて言おう。純粋な恋愛に勝るものはないと。
あの幸福感とそれを上回るかもしれない苦しみや切なさを知ることなしに何の人生かと。だから僕は死ぬまで恋してもがき苦しむ道を選ぼう。
泣き言をブログに垂れ流しながらも刹那に感じる幸せを信じて。
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