[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]カウンセラーは何を見ているか/魅力的なタイトルとエロそうな表紙に騙されたw @kun_maa

カウンセラーってなんか怪しい響きに聞こえるのは僕だけですか?

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カウンセラーの比較的まともなイメージとしては、小中学校に配置される「スクール・カウンセラー」やメンタルクリニック内に併設されているカウンセリング部門のカウンセラーなどが思い浮かびます。

でも、何でもかんでもカウンセリングで良くなるかのような広告を出しているカウンセリングセンターや、怪しい壺を買わされそうなスピリチュアルなイメージがつきまとういかにもな感じのカウンセリングなんてのも折り込みチラシや街角の看板などで見受けられますよね。

僕自身はメンタルクリニックの集団カウンセリングを数回受けたことがある程度なので、その効果についてはよくわかりません。っていうか僕の経験からは、実際にはほとんど効果を信じていません。

そこで気になって手に取ったのが本書「カウンセラーは何を見ているか」です。もしかして、内部暴露本?的な好奇心と表紙のエロそうなイラストにつられまして。

それにしても、本屋で買うときは恥ずかしかったです。帰ってからAmazonで注文すればよかったと思いましたもん。

エマニュエル夫人か!て(古すぎますね)。 

結論から言うと、カウンセラーの視点について専門的にというか詳しくというか期待したほどの暴露本という感じではありませんでした。

著者のカウンセラーとしての思い出や、医師に対する不信感や不満、医療機関から独立してカウンセリングセンターを運営してきた苦労話などが主なものです。

その中に、著者独自のカウンセリング論みたいなものがちりばめてあるといった印象です。

そこでは精神病患者や知的障害者アルコール依存症者などに対する恐怖心やトラウマなどについても包み隠さず触れられていて、カウンセラーという職業自体に対する不信感は拭えなかったものの、著者自身は誠実な人なのかもしれないという感じは受けました。

それは次のような文中の表現からも感じます。

どのカウンセリング講座に参加しても、共感と傾聴が必須であるとされる。

しかし、私は共感しなければならないと考えたことはない。クライエントの気持ちをわかろうとか、クライエントの身になって考えようなどと思ったこともない。(P.62)

特に、次の部分は僕のカウンセラーに対するイメージそのまんまという感じで、やっぱりそうなのかと苦笑してしまいました。

思い切った言い方をすれば、カウンセラーとは、バーやクラブのチーママ、占い師、そして新興宗教の教祖を足して三で割り、そこに科学的な専門性という装いをまぶした存在である。これは私の長年の持論であり、水商売と占いと宗教の三要素がカウンセリングには欠かせないと考えている。(P.65) 

本書を読んでも、カウンセラーの必要性はやっぱり感じられなかったし、今までなんとなく怪しい職業と感じていたカウンセリングのイメージを払拭するどころかさらに怪しさを感じさせられました。

でも、しょせんカウンセラーも商売なんだなと思えば、高い金を払って通うお客様がいなければ食っていけないわけで、サービス業としてのカウンセリングという考え方はよくわかります。

僕がカウンセリングに対して、変に「優しさ」や「ボランティア精神」みたいなものを期待してしまうから、怪しい職業に見えてしまうのだということも。

お客の話を聞いて、適当に距離を保ちながらうまく誘導し、悩み事に対して「自分で選択した」という気持ちを持たせながら気持ち良く帰ってもらい、また来てもらうというサービス業なんですね。そう考えるのが妥当なんだと思います。

「じゃ、お金のためなんですか?」「要は客集めなんですね?」そう聞かれれば、私は胸を張って答えるだろう。「イエス」と。

このような発言が誤解を招きかねないことは知っている。これまでに周囲から何度もたしなめられ、注意を受けてきた。ネット上でも「信田さんはけっきょくお金のためなんだ」などといった発言を目にすることもある。それでもあえて露悪的とも思える表現を用いるには理由がある。

国家資格でもない臨床心理士による開業心理相談機関が、二十年間も生き残ってくるのは至難の技だった。これからもいばらの道が続くことは間違いない。(中略)これまで開業という言葉は、ほとんどが医療機関のことを想定していた。業種として市民権を獲得していないために、どこかボランティア的な善意を期待されており、お金という言葉とはそぐわないと考えられているせいかもしれない。(P.133~134) 

なお、本書の後半部分は「カウンセラーは見た!」という「家政婦は...」のパクリタイトルそのままに、著者の入院時の話をエッセイ風に書かれたもので、正直ぜんぜんおもしろくありませんでした。感想は「どうでもいいよ、そんなこと...」という気持ちだけ。

こう書いてくると、なんだか残念な本に思えるかもしれないけれど、実際僕は残念な本だなあという印象を持ってしまいました。

唯一、本書から学べるものがあるとしたら、カウンセラーというものに過度な期待を寄せるのではなく、しょせんはサービス業のひとつとして考えたほうが無難だし、妥当だなってことです。

僕は今後もカウンセリングを利用するつもりはありませんが、カウンセリングに対して何か過度な期待を持っている人は一読してみるのもいいかと思います(前半だけね)。 

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