映画の宣伝方法を巡って、海外版の宣伝や作品内容との乖離を主な理由に一部でけっこう批判を浴びているようですが、ようやくディズニー映画「ベイマックス」を観てきました。
結論から言うと、ヒーローものとして観たこの作品は全然つまらないです。
原題は「Big Hero 6」で、原作も日本を舞台にした同名のマーベルコミックということですが、登場人物やベイマックスの設定など諸々変わっているようで、ヒーローものとしては中途半端な感じが否めずその世界観に入り込めないです。
キャラクターもヒーローとしてはダサいというか、ロボットオタクのお遊びから抜け出せずにやっぱりつまらないなあと思いました。
僕が観たいベイマックスは、こんな作品じゃないんだよ。
そんなヒーローものとして観るのではなく、この作品はやっぱりタダシというひとりの男のロボットに対する熱い想いとその結果生まれたベイマックスというロボットの心を描いた作品として観るべき作品なんじゃないかと思うわけです。
タダシがケアロボットとして、その想いを込めて作り上げた「ベイマックス」。
つまらない復讐劇の道具として使うべきものではないんですよ。
彼はベイマックスを人を傷つけるためではなく、人に寄り添い優しく包み込むための利他的な存在として作り上げたはずなのです。
そうじゃなければ、ベイマックスの中に録画されていた優しさと情熱の混ざった表情や、度重なる失敗にも諦めずに最後までケアロボットとして完成させた時の喜びは説明できないでしょう。
僕は復讐心で冷静さを失ったヒロに、ベイマックスがこのタダシの映像を見せるシーンで我慢できずに泣きました。ひたすらタダシの想いにグッときました。
そして、どうでもいい「Big Hero 6」としての戦闘シーンにすっかり興醒めし、もう観るべきものもないかと諦めかけたその時に、クライマックスにベイマックスとヒロとの別れのシーンがブッ込まれてきましたね。
ヒロたちを守るために、ベイマックスは自分を犠牲にして異次元空間に飲み込まれていくのですが、このシーンを観ながら、そういえばベイマックスはいつもケアロボットであることを忘れなかったな(ヒロにチップを入れ替えられた時以外は)ってあらためて思いました。
ヒロの自分に対する扱い方に、常に「それはケアロボットに必要なのか?」という疑問を投げかけ続けながらも、ヒロや仲間たちに寄り添い続けたベイマックス。そんなことを思いながら彼が消えていくシーンを見ていたらやっぱり涙が止まりませんでした。
彼は結局、最初から最後までタダシが思い描いた素晴らしいケアロボットだったんです。
そこには、タダシが種をまいてベイマックスが育てた温かい心が確実に宿っていました。
消えていったベイマックスと、ヒロの手元に残ったベイマックスの心の素とも言えるタダシが作成したチップ。このチップさえあれば、理論上はベイマクスはまた作れます。
実際、ヒロはベイマックスの2号機をいとも簡単に作っていたし。
でもね、僕はどうしても引っかかるんですよ。引っかかるというよりは、違和感に近いかな。果たして、ベイマックスの「心」はチップの中だけにあったのかと。
だって、彼が自分を犠牲にしたのは自分でチップを抜いた後になるんじゃないかと思うんですよね。彼の見せた利他的な優しさはチップの中だけに存在したのでしょうか?
なんで、新しいベイマックスを作ることができるほどの技術があるなら、自分を犠牲にして異次元空間に飲み込まれていった"あのベイマックス"を、ヒロたちは救助に行こうとしないのでしょうか?
能天気にヒーロー気取りで、"あのベイマックス"を忘れていいのでしょうか?
そんなことを思いながら、AIの歌う「Story(English Ver.)」を聴いていたら、やっぱり涙が流れ落ちました。
やっぱり、僕にとってこの作品は「Big Hero 6」なんかじゃないんだよ。
死んでしまったタダシの熱い想いと、それに応えたベイマックスの心の物語なんだ。
ベイマックス オリジナル・サウンドトラック (初回生産限定)
- アーティスト: V.A.
- 出版社/メーカー: WALT DISNEY RECORDS
- 発売日: 2014/12/17
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