[ま]脳に棲む魔物/謎の病の発症から社会復帰までを自身の言葉で綴った実話に驚愕する @kun_maa
ニューヨーク・ポストの現役記者である24歳の女性スザンナ・キャハランは、ある日突然心身に不調を来した。それも始まりはなんてことのない程度の不調。
トコジラミに刺されたという妄想なのか、あるいは事実なのか。とにかくそこから全ては始まった。
心身の不調は、トコジラミに刺されたというものから次第に彼女の人格をも変えていく。
ボーイフレンドの過去を偏執狂的に調べ始めたり、大好きだった仕事への意欲を失い、記憶も定かではなくなっていく。妄想や幻聴も始まり、仕事は手につかなくなり部屋も片付けられなくなっていく。
そして、虫に刺されたと思っていた左腕に痺れが出始め、それは左半身の麻痺へと進行してしまうのだ。
かかりつけの医師の診察を受けるも、検査ではまったく異常無し。しかし、ついにてんかん発作を起こして倒れることにより、ようやくただ事ではないことに本人も周囲も気がつくことになる。しかし、その頃には双極性障害や統合失調症を疑われるような精神疾患的症状も併発するようになっていた。
読み進むにつれて、だんだん怖くなっていく。いったい彼女の病気はなんなのか。
しかも、それを綴っているのは病を克服した彼女本人なのである。闘病中の記憶がほとんど残っていないということで、医療スタッフや家族などからの聞き取りや闘病中に撮影されたビデオ映像、判読不明な部分も多い自分のノートなどを掘り起こして、次第に悪化していく自分の姿を克明に綴っているのだ。そこからは血が滲むような本物の臨場感が伝わって来る。
医師もまったく病気の原因・病名について判断ができず、かかりつけ医などはアルコールの飲み過ぎだと考えている始末。精神科医の診断を受けて双極性障害の薬を処方されても症状は回復せず、まれに正気に戻ることがあってもすぐに悪化への道を転がり落ちていく。自分が自分でなくなっていく恐怖と闘いながらも彼女が闘病生活を続けられたのは献身的な家族と恋人のおかげである。
ついには世界屈指の規模を誇るてんかん科を擁するニューヨーク大学ランゴンメディカルセンターに入院することになる。
入院後も彼女の病状は悪化していく。検査では異常が見られず、だからいって病状が回復するわけでもなく、八方ふさがりである。ここでも次第に崩壊していく人格に匙を投げることなく最後まで献身的に看病に尽くした家族と恋人の存在は大きい。
万策つき、謎の精神疾患として精神科へと転院することも考えられたとき、最後に彼女の治療チームに加わった医師がペンシルヴェニア大学での最新の医療研究の成果を彼女の病気に当てはめた。
「抗NMDA受容体自己免疫性脳炎」という聞いたこともない病名が彼女の病気だった。
この病気を発見したのはペンシルヴェニア大学のダルマウ医師である。
抗NMDA受容体脳炎に罹ったダルマウ医師の不幸な患者たちの抗体ー通常なら体内でよい働きをするのだがーは、脳内で好ましくない裏切り者となっていた。NMDA受容体を標的とする抗体は、ニューロンの表面に死のキスをして、ニューロンの受容体を妨げ、こうした重要な化学信号のやり取りをできなくさせる。NMDA受容体(そしてそれと関連するニューロン)が行動にいかなる影響を与えて変化させるかについて、研究者たちは完全に理解しているわけではない。が、これらの受容体が傷つけられると、明らかにその結果は悲惨なものになりうる。致命的でさえある。(P.227)
要するに、普通なら体を外敵から守る役割を果たすはずの抗体が、自分の体の健康な神経細胞を攻撃対象としているということである。
こうして、この病気への疑いから検査を行い、スザンナ・キャハランは世界で217人目の抗NMDA受容体自己免疫性脳炎患者と認定されたのだった。
その後の、治療と回復の道のりも平坦だったわけではない。だが、病名がはっきりすることの安心感とはどれほど大きなものかということが、本書でよくわかった。たとえ告げられた病名が治療が困難な病気であったとしても、なにもわからないよりずっといい。
本書を読み、スザンナの苦闘は十分に伝わった。
しかし、彼女の場合は恵まれていると言っていいと思う。
献身的な家族と恋人に囲まれ、新聞記者の仕事はクビになったわけでもないので、新聞社が加入している質の良い医療保険がフルに使えた。
そして、優れた医師との出会い。まさに不幸中の幸いのオンパレードだ。
このどれかが欠けていたらスザンナ・キャハランは精神科病棟に閉じ込められ、やがて死に至ったかもしれない。
彼女もそのことが本当に意味することについて本書の中で触れている。
世界でも指折りの病院がこの段階に達するのにこれほど時間を要したのなら、治療を受けずに精神疾患と診断される、もしくは一生を精神病棟か看護施設で過ごすことになる患者はどれくらいいるのだろうか?(P.229)
こうした一連の体験が少しずつわたしに教えてくれたことは、自分はいかに運がよかったかということだ。然るべき時、然るべき場所。ニューヨーク大学、ナジャー医師、ダルマウ医師。このような場所と人々に恵まれなかったら、わたしはどうなっていただろう?もしわたしがほんの三年早く、ダルマウ医師が抗体を特定する前にこの病気に罹っていたら、どうなっていた?わずか三年の違いで、充実した人生を送れるか、施設で半分死んだような状態でいるか、あるいはもっと悪いことに、冷たく硬い墓石の下で若くして眠ることになるのだ。(P.306~307)
これまでの歴史で、"悪魔祓い"をされ、回復しないまま死なせられた子どもたちはどれくらいいるのだろう?最近では何人の人が精神病棟や養護施設に入れられているのだろうー比較的簡単な治療法であるステロイドや血漿交換、IVIg治療を拒んで?そして最悪な場合はもっと激しい免疫治療や化学療法を拒んで?ナジャー医師の見積もりによると、2009年にわたしが治療を受けていた時期に、同じ病気に罹っていた人の90%が診断未確定だったという。(P.326~327)
正直なところ、彼女の闘病の記録を読んだ後で、この病気であることが適切に診断されることなく、正しい治療が受けられずにいる患者の存在について想いを馳せた時、さらに恐ろしさを感じたのである。
そんな患者をひとりでも減らすために、きっと彼女はこの本を書いたのだろうし、我々はこういう病気に苦しむひとがいることをもっと知る必要があると思う。
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