[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]映画「猿の惑星 新世紀(ライジング)/猿も人類も等しく愚かでリーダーの苦悩は続く @kun_maa

2014年9月19日から公開されている「猿の惑星 新世紀(ライジング)」(原題:Dawn of the Planet of the Apes )を観てきた。

前作「猿の惑星:創世記ジェネシス)」から10年後の世界を描いた作品であり、予告編がYouTubeで公開されるたびに楽しみにしていた作品である。

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今更書くまでもないことかもしれないが、本作は1968年の「猿の惑星」(2001年に公開された「PLANET OF THE APES/猿の惑星」も含むのかな?)の前日潭にあたる作品である猿の惑星:創世記ジェネシス)」の続編であるため、地球が猿に支配される未来という結末は決まっていることである。

だから、どのような過程を経て猿の支配が始まっていくのかを描き出していくところが、ある意味で見どころの作品と言える。

そういう観点からは、本作は十分に期待に応えている作品であるとともに、原題のタイトルどおり、猿の惑星の夜明けであり、人類と猿の争いの始まりを描くにふさわしい作品だった。さらに、何といっても映像の美しさやストーリーの良さも含めて、すばらしいエンターテイメント作品なのである。

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前作から10年後のサンフランシスコを舞台にした本作では、前作に引き続き、進化した猿たちをリーダーとして率いるのはシーザー(アンディ・サーキス)である。

山奥に自分たちのコロニーをつくり平和に暮らしている。

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作品の冒頭では人類が猿インフルエンザによって絶滅の危機に瀕していく過程の概略が、報道映像のように淡々と流されるが、本編に入ると猿たちの生活だけが描かれている状態が15分程度続く。そう、すでに人間はこの作品の主人公ではなく、最初の方は猿たちしか出てこないのだ。

シーザーとオランウータンのモーリスとの雑談の中で、前回、前々回の冬の間に人間の姿を見ていないから、もう人類は絶滅したのではないかという話が出てくるだけである。

そんな猿たちの平和な生活の均衡が崩れるのは、ダムの発電設備を復旧させるために森の中に入り込んだマルコム(ジェイソン・クラーク)たちとの偶然の出会いと発砲事件の発生からである。

本当は猿も人間たちもそれぞれ平和に暮らしたいのに、次第に崩れていく理想の暮らし。

人間とは争わず、共存することで大切な「家」「家族」「未来」と仲間たちを守りたい一心のシーザーと、人間との共存を快く思わないコバ(トビー・ケベル)を中心とする一部の猿たち。そしてコバの持つ人間への恨みはやがて、猿の組織内での権力闘争と汚い破壊工作や暗殺へと繋がっていく。

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本作品におけるテーマは「愚かな人類に対して優れた猿」という進化した猿の優生思想を具体化したとも言える「猿は猿を殺さない」という言葉と、その言葉の持つ力の崩壊にあるのではないかと感じた。

平和から争いへ。信頼から裏切りへ。忠誠から嫉妬へ。いとも簡単に変わってしまう感情の動きは人間だけではなく、進化した猿たちにも当然存在するのである。

人類は人類同士で殺し合いをするが、進化した猿たちは絶対にお互い殺し合わないという決まりというか、スローガンというか、いわゆる「掟」みたいなものがあるのだが、その点において猿たちは、人類よりも優れているというというのが猿たちを束ねるリーダーとしてのシーザーの心の拠り所となっていた。

しかし、本作でシーザーはその心の拠り所を失うことになる。自分の考えの甘さに打ちのめされるのである。

猿同士がお互いを信頼できていれば、そしてその信頼を基に、人類との共存を模索していれば、あるいは悲劇は防げていたかもしれない。

進化するほど、人間に近づき、悪い面まで似てしてしまうというのか。猿たちの姿は人間社会への痛烈な皮肉にも見える。

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結局、猿も人類も同じだったとつぶやくシーザーの背中が小さく見え、リーダーの苦悩が垣間見えるシーンはとても切なく、人類と猿との戦争を避けることができなくなってしまったことをマルコムに詫びるシーンでは涙がこぼれた。

猿たちも人類も等しく愚かである。

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この作品で描かれる人間は少ない。猿に襲われて逃げ惑う姿がほとんどで、生活レベルも今ひとつはっきりしないし、舞台となったサンフランシスコのコロニーの様子くらいしか見えてこない。

したがって、絶滅しかけているという人類全体の状況や、アメリカ国内の状況ですらさっぱりわからない。こんなところからも、すでに主役は人類ではなく猿たちであることが垣間見える。

何度も共存のチャンスがありながらも、ことごとくボタンの掛け違いが起こり、お互いの信頼を築くことができなかった人類と猿たち。

自らが率いる猿たちに対する理想像は崩れ、猿たちの本性を見限り、人類との共存も諦めたシーザーはどこへ向うというのか。もはや全面戦争は避けられないのか。

猿と人類の新しい時代への夜明けは、この作品で確かに迎えた。

そして、これからの展開をさらに期待させてくれる「猿の惑星 新世紀(ライジング)」であった。

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