四谷怪談といえば詳細までは知らなくても、醜い「お岩さん」が登場する江戸時代の怪談として、誰でも名前くらいは知っていると思う。
元禄時代に実際にあった事件を基に創作された怪談であり、お岩さんのお墓や四谷左門町には於岩稲荷田宮神社なども実在し、四谷怪談を演じる前には役者が参拝することなどでもよく知られている。未だにお岩さんの祟りで恐れられているからである。
僕が知っている四谷怪談のあらすじは次のようなものである。
お岩と伊右衛門という下級武家の夫婦がいて、伊右衛門は出世欲にとらわれて上役の娘と結婚したいがために、お岩と離縁したいと思いお岩さんに毒を盛る。毒でお岩さんを直接殺害することはできなかったが、容貌が醜く変貌してしまいそのショックで半狂乱になり事故死。邪魔者のお岩さんがいなくなったことで、まんまと上役の娘と結婚し、婿養子になった伊右衛門だがお岩さんの幽霊に悩まされて呪い殺される。そして伊右衛門が婿養子に入った家も不幸が立て続きに起こってお家断絶。
本当にざっくりとした断片的な記憶なのでいろんな話が混ざったり、勘違いしたりしている部分もあるかもしれないが、だいたいこんな感じの怪談であり、お岩さんは毒を盛られたかわいそうな人で、伊右衛門は極悪人というイメージが専らなのではないだろうか。
しかし、そんなイメージを根本から覆してくれるのがこの映画「嗤う伊右衛門」である。
原作は京極夏彦で、監督は蜷川幸雄、伊右衛門役が唐沢寿明、お岩役が小雪という豪華な布陣で制作された2004年の作品である。
この作品のお岩さんは、疱瘡によって顔の右半分が醜く変貌してしまったと噂されている武家の女性であり、登場時からその醜く変わってしまった顔を惜しげもなく晒している。惜しげもなくっていう表現はこういう場合使わないか。
そして、伊右衛門は若い頃に切腹した父親の介錯をさせられて以来、笑うこともなくただ流されるままに浪人として生きている世捨て人のような生真面目な男である。
お岩の父親がある日鉄砲の暴発で怪我をしてしまい、仕事が勤まらなくなる。お役御免になり家を取り潰されるのを防ぐ目的で、お岩に婿をとることになるのだが、お岩の容貌は世間に知れ渡っており相手は見つかるわけもない。
そこに候補として現れて婿養子に入るのが伊右衛門である。
伊右衛門とお岩は生活環境の違いから、最初こそ気持ちのすれ違いがあったものの次第に仲睦まじくなっていく。伊右衛門はお岩の醜い容貌など気にせず、その心の清らかさを理解していたのだ。お岩も同様に伊右衛門の心根を理解し、2人は愛し合っていく。
それをおもしろく思わない男がひとり。伊右衛門の上役に当たる筆頭与力の伊東喜兵衛である。この伊東喜兵衛はものすごい極悪人なのだが、椎名桔平が見事に演じていて、この手で殺してやりたいくらい憎らしい。
椎名桔平という役者、人間性に欠ける極悪人をやらせたら右に出るものはいないんじゃないかと僕は常々思っている。今回も完全にハマり役だ。
なぜ伊東喜兵衛が伊右衛門とお岩が仲睦まじいことを気に入らないかというと、この男、お岩の容貌が醜くなる前はお岩に惚れていたからである。
伊右衛門とお岩の仲を汚い嘘で切り裂き、離縁させ、自分が手込めにして妊娠している町娘・お梅を伊右衛門にあてがい、妻とさせる。そして、このお梅と自分との愛人関係は継続させるという人非人である。
それでも、流されるまま淡々と生きる伊右衛門。
お岩との離縁の際には感情を露にするも、お岩が策略によって自分がいない方が伊右衛門が幸せになれると信じているお岩の決心は固く、伊右衛門もそれ以上はどうしようもなく、また流されて生きるようになってしまっていたのだ。
この時点で、すでにお岩さんと伊右衛門に対するイメージが大きく変わっている。これは聞きかじった四谷怪談とはかなり違うぞ、と。
その後、伊東喜兵衛の策略に騙されていたことを知らされ正気を失うお岩。
それでも伊右衛門への愛情が忘れられないお岩と、そんなお岩を心から愛している伊右衛門。すっげー切ないぜ。
「伊右衛門どの、恨めしや」とささやくお岩に対して、伊右衛門は次のようにお岩に語りながらきつく抱きしめる。
恨めしも、愛しも同じく人から思慕する想い。岩よ、俺を存分に恨め!生けるもひとり、死ぬもひとり。ならば生きるの死ぬのに変わりはないぞ。
そして、ここから話は急展開を迎えて、一気に終幕へとなだれ込む。
お岩との愛故に、今まで流され続けた人生に逆らい命をかけてある行動に出る。
そこには、僕の知らなかった伊右衛門とお岩の愛の姿があり、とても醜悪な人間の本性があり、そんな腐った人々が生きる世でも純愛を貫き通そうとする、まじめで飄々とした伊右衛門がいた。
こんな「四谷怪談」は初めてだ。怪談とは呼べないのかもしれない。だから「嗤う伊右衛門」なのか。
いや、純愛を突き詰めることは実はすごく怖いことなのかもしれない。そういう意味では立派な怪談である。
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