[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]やっぱり葬式なんていらないよ @kun_maa

久しぶりに葬式に参列しました。僕は葬式なんていらないと思っているので、普段は香典だけ包んで済ますのですが、隣の家の人が亡くなったので香典だけという訳にもいかず、義理で仕方なくの参列です。

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僕が葬式なんていらないと思うのは、主に2つの理由からです。

①死体に向かって頭を垂れてお焼香したところで意味がないだろうと思っていること。

②葬式に行くと必ず体調が悪くなる。

 

①については、そのままの意味です。すでに死んでいる人に会いにいってお別れをすることに意味を感じていません。死んでから葬式に行くくらいなら、生きているうちに会うことに努めた方がいい。それができなくて葬式に行き、形だけ死を悼むのは自己満足にすぎないです。死を悼むだけなら葬式なんかに行かなくてもひとりでできるはず。

また、今回僕が参列したように義理で嫌々葬式にでることが故人に対して何の意味があるのかさっぱりわかりません。今回の葬儀でも故人はまるでお飾りのように感じました。

多くの人を集めて盛大に葬儀を行い、国会議員なんかが焼香しているのを見ていると、故人のためというよりは残された家族・親族の見栄のために葬儀を行っているとしか思えませんでした。会葬場の片隅に表彰状や叙勲なんかをこれ見よがしに飾ったりしてね。

参列している人たちも、待っている間みんな全然関係ないバカ話をしたり、僕と同じように近所で後ろ指を指されないようにするために自分のために参加している人たちばかり。

故人を悼む雰囲気なんてほとんどなかったな。今回だけじゃなくて葬式に出るとよく感じるんだけど。

第一、死んでしまった人間には葬儀に誰が来ようが来まいが関係ないしね。死んじゃっているんだからもうわからない。

だから、葬式なんてやらないで、死を悼みたい人がそれぞれで悼めばその方がよっぽどいいじゃんって思うんですよ。家族でも、友人でも。

亡くなった人を心の中に留めることは、極めて個人的な事柄なのだから。

 

②については会葬場や焼き場などが苦手なんです。霊感が特別強いわけではないのですが、そういう場所に行くと必ず具合が悪くなります。理由はわかりません。気のせいなのかもしれませんが、身体が重くダルくなってきてへとへとに疲れます。なにか見えないものに生きるエネルギーを吸い取られるような感じ。だから、葬式には行きたくないんです。

 

②の理由はちょっとアレなんで、とりあえず置いておくとしても、やっぱり僕は①に挙げた理由で葬式はいらないと思っています。

だから自分が死んだ時も葬式はやってほしくないし、ついでに言うなら墓もいりません。だって僕もお盆やお彼岸には一応墓参りに行きますが、墓石を見たって爺ちゃんや婆ちゃんを思い出したりしませんもん。墓参りなんかのときじゃなくて、普段の生活の中で思い出としてよみがえることの方がずっと多いですよ。

墓参りをして先祖の供養をしないと悪いことが起きるとかホントくだらない。そんなもん葬式仏教と化したお寺や、インチキ宗教の銭稼ぎのもとでしかないでしょ。

死んだ人は自分の心の中に大切にしまっておけばいいだけのことで、葬式や墓なんてもんは必要ないよ。

 

ただ、「うちの墓はお前や孫がちゃんと守ってくれ」とか親に言われてしまうと、「そんなのくだらねーよ」とは言えずに、なんとなくはぐらかしている自分が歯がゆいです。

自分はどう思っているかはともかく、そういうことを信じている人を面と向かって否定するのは気が進まないし、そうするべきではないとも思っているからです。

そこのところが宗教や慣習がらみの難しいところですね。

自分の考えは考えとして、自分はその考えにしたがえばいいだけのことであって、他人の信じていることを否定することはできないし、ましてや自分の考え方を強制するべきでもない。悩ましいですね。

・・・それでも、やっぱり葬式なんていらないよ。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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