[ま]水道橋博士の鋭い観察眼が冴え渡る/藝人春秋 @kun_maa
芸能界というこの世のものとは思えぬあの世。
テレビの裏側にある我々には決してうかがい知ることのできない物語。
著者である水道橋博士が語るひとりひとりの物語には目を見張らされる。
時に鋭く、時に愛にあふれて語られるその物語を支えているのは、あくまでも冷静で鋭い観察眼と筆力だ。
登場するのは、そのまんま東、甲本ヒロト、石倉三郎、草野仁、古館伊知郎、三又又三、堀江貴文、湯浅卓、苫米地英人、テリー伊藤、ポール牧、爆笑問題、北野武、松本人志。
「藝人」といいながらも、いわゆる芸人の方が少ない。
しかし、登場する人物に共通するのはある種の「狂気」。
そのまんま東、草野仁やテリー伊藤のような素のままの「狂気」もあれば、湯浅卓、苫米地英人、堀江貴文のように嘘で塗り固めた「狂気」もある。
その「狂気」のほとばしりがお茶の間を楽しませるという意味では、彼らは全員「藝人」なのかもしれない。
彼らの狂気に飲み込まれることなく、一歩引いた冷静な視点で語る著者の立ち位置が絶妙である。
なぜ同じ「芸人」でありながら、あの立ち位置を確保できるのか。
そこには、著者が感じているのであろうある種の諦念が感じられる。
彼らの域には、決して自分は達することができない諦めとでも言うべきか。
だから、せめて冷静な観察眼で彼らを物語る。
芸人としてはあまりにも純粋すぎたポール牧は自ら命を絶ち、稲川淳二は障害を持って生まれた子供をもったことから次のような理由でお笑いの仕事から身を引いた。
「芸能人っていうのは、身内に不幸があっても笑ってなきゃならない。陰でどれだけ泣いても苦しくても、テレビでは『はいどうも〜』って、笑わせなきゃならない。もう、やかましいぐらいよくしゃべって、『あんた明るいねぇ』なんて言われていましたね。でももうやめました。自分を殺してまで笑いの仕事をするのはやめよう、と。」
「藝人」ひとりひとりにそれぞれの物語がある。
それをこのような形で紡ぎ出した著者の力に心から感服した。
「あとがき」で、この本は故児玉清氏に捧げられるのだが、この「あとがき」もまた本編に負けず劣らず素晴らしかった。
最後まで失われない冷静で鋭い観察眼と物語ることの巧妙さ。
これはすごい本である。
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