こんにちは!女性に騙されても殺されるのはまっぴらごめん @kun_maa です。
一時期、新聞や週刊誌、ワイドショーを賑わわせた首都圏連続不審死事件を、執拗とも言える取材を重ねることで描き出したルポルタージュ。
タイトルにもなっている「別海」とは木嶋が生まれ育った北海道の別海町のこと。
著者は、彼女の生まれ育った町を実際に訪れ、なぜあのような犯罪を犯した女が誕生したのかという答えを求め、彼女の親や祖父、曾祖父などのルーツを調べ上げるとともに、同級生や当時の彼女に関係のあった者への取材を重ねていく。
そして、通常であれば死者を悪く言うことはしないというタブーを超えて、犯罪にあった被害者男性についても取材によりその姿を露にしていく。
取材対象は、死亡した被害者の家族のみならず、生き延びた被害者や彼女と交際していたという男性、裁判での木嶋本人の証言や被害者の証言などのやりとりにも及んでいる。
そこから浮かび上がってくるのは、木嶋佳苗という犯罪者の空虚な異常性と、被害者男性に共通する滑稽さ、そしてマスコミで大きく取り上げられた劇場型裁判の茶番判決の姿だった。
著者が最初から木嶋佳苗を完全にクロだと決めてかかっているという点はかなり気になった。なにしろ、本書の冒頭近くで「木嶋にはたぶん大きな欠損がある。もっと言うなら、木嶋は本人も気づかない深いところで、人間が壊れている」とまで書いているのだから。
そして、取材で執拗に拾い上げていくものも、彼女が生まれついての犯罪者であると言わんばかりの内容である。
しかし、そのくらい自分の立ち位置を明確にした当事者意識を持った取材がなければここまでのルポは書けないと感じた。
事件をおもしろおかしく茶化す他のメディアとは一線を画している。
木嶋佳苗とは、ネット社会の狭い空間の中で黒い欲望を隠しつつ、見事に孤独な男の心の隙き間に入り込むセルフブランディングに成功し、欲望を充足させていった存在であり、その確立されたブランディングの前に、為すすべもなく騙された男たちの滑稽さは笑えない冗談のようだ。
しかし、この事件の内容を知れば知るほど、木嶋という毒婦に対する興味も犯罪の被害にあった男性たちに対する興味も失っていくのはなぜだろう?
そこには犯罪における人間臭さというか、人間が犯した罪として語られるべき内容がない空虚な犯罪の姿が見えてくるからなのかもしれない。
殺人事件につきものの怨恨も、殺人に至る必然性もまるでない。
そして、木嶋自身に殺人という犯罪を犯した罪のかけらもない。
それは、それで怖いことなのだろうけど。ただそれだけの犯罪でしかない。
ぶっちゃけた話、犯した罪は重いものの、木嶋佳苗が誰もが認めるような美人であったなら、これほどの騒ぎにすらならなかったと感じている。
木嶋の容姿が残念だったがために、おもしろおかしく取り上げられたけれども、それ以外に注目すべき内容のない事件であり、木嶋の異常性と被害者のふがいなさを描いた喜劇であるとさえ思えてくる。
著者は「今後何年経っても、この事件をいまという時代の記録として、後世の人びとの記憶に残し、いつでもこの事件を検証できる材料にしたい」という気持ちで本書を書いたようだ。
僕自身は、本書自体は興味深く読めたが、事件そのものは後世に語るべきほどの内容があるものではないと感じた。
また、木嶋の異常性を別海町という特異な地域に求めようという視点の鋭さは感じたが、それほど説得力のある展開ができているとまでは感じられなかった。
上から目線の言い方ですいませんねw
最後までお読みいただきありがとうございます。