こんにちは!悩み多き中年 @kun_maa です。
人生に哲学は必要か?
哲学なんてなくても生きていけるとは思います。そういう意味では、人生に哲学なんて必要ないのかもしれません。
でも、小難しい問答や論理などを抜きにして、生きることに迷ったとき、壁に打ち当たったとき、哲学は多くのヒントをくれると思っています。
過去の賢人と称される人々が、悩み、考え抜いた言葉の数々は、生きることに迷ったときに勇気を与えてくれたり、はげましてくれたりします。
だから、僕は哲学はなくても生きてはいけるけど、あれば生きる手助けにはなると思っています。
「生きるための哲学」(白取春彦 著)
人生の真理などわからないからこそ、自分が生きてみる価値が見いだせる。
哲学のエッセンスから、私たちが生きるにあたって何かの助けになるようなヒントの種を拾い集めた一冊です。
著者は哲学についてこう述べています。
人の心に入り、その人になにがしかを考えさせ、その人の人生を少しでも変えていくような言葉は、練りに練られた思考、あるいは深い人生経験、あるいは深い孤独と深い愛を知ってきた人の筆から出てくるものではないだろうか。(中略)
吐露してしまえば、私は哲学書を思考と人生経験の芸術だと思っている。論理の正確さだの思考体系だの真理の探求ではないと思っている。
なぜならば、論理的に正しいだの誤っているだのは数学のような人工的な次元でしか意味を持たないと考えるからである。(中略)
もし、人の生き方を論理と効率性で考えてしまうのならば、結局のところは経済的損得勘定になってしまうだろう。そんな味気ない人生を、私個人は人生と呼びたくない。 P.3〜4
本書は全部で17章からなります。
そこには、幸福や生きる意義、自分の仕事、心や言葉にできない世界など、多くの大切だけど普段あまり考えることのない事柄について目を向けさせてくれる言葉にあふれています。
3つ抜き出してみましょう。
たとえば幸福についての章では次のように。
わからないからこそ、自分が生きてみる価値が見出だせるというものだ。他人ではなく、この自分が生きてみて初めて、昔から言われてきた幸福だの真理だの永遠の美だのといったものの回答内容を自分の人生をもって埋めることができるからだ。
それ以上におもしろいことが他にあろうか。学者が頭で考えた価値や意味に合わせた価値や生き方など生きるに値しないであろう。だから、わたしたちはこの今を泣き笑いしながら生きるのだ。それ以上の幸福がどこにあろうか。 P.16
強く生きるということに関しては次のように述べています。
「すべては解釈だ」とニーチェは述べて価値の相対性を強調したが、それから100年以上たった現代に生きる人間も依然として何か頼れるも、価値の上下を判断できるような固定点を持たないと不安なのだ。
不安だから、なんらかの強力な固定点が欲しくなる。その固定点を外に求めて自分のものにしようとするか。もしくは、不安を抱えながらも、そのつど1つ1つ自分で考えて判断していこうとするのか。
どちらが強く生きようとする人間の態度であろうか。 P.22〜23
人生についてはこのように述べてもいます。
いわゆる成功した人生よりも、おもしろかったと言える人生のほうがよいのではないだろうか。なぜならば、何が人生の成功なのか、誰にもわからないことだからだ。しかし、おもしろかったと断言できるのはその本人であり、他人ではなく本人が人生への満足を表明しているのだから、これは確実なことだ。 P.32
幸福とは、愛とは、人生とはなにか、この世界のすべてを理解することなどできないこと、相手を本当に理解するために必要なことは何かなど、いずれもふつうの生活をしていては聞くこともなかったような発想や考え方がわかりやすく述べられていて、人生について多くのことを考えるための、はじめの一歩を刺激的に提供してくれる一冊だと思います。
124ページの薄い本ですが、じっくりと読むことでなんらかの新しいインスパイアと洞察力を得ることができると思います。
「文章は、正しいテンポで読む時だけ、理解することができる。私の文章は、すべてゆっくりと読まれるべきだ」(ヴィトゲンシュタイン)
人生に哲学はなくてもかまわないけど、あったほうがより楽しく、深く生きられる。
僕はそう思います。
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