[ま]今だから行ける場所へ/世界を歩いて考えよう @kun_maa
こんにちは!まだまだ行きたい場所がある。全てを見るには人生はあまりにも短い 。@kun_maa です。
人は生まれながらに平等ではない。そんなことは百も承知だと言われそうだけど、本書を読むと改めてそう感じる。生まれた国や時代が違うだけで、自分たちがいま享受している利益はまったく異なるものとなる。
自分が現代の日本に日本人として生まれたことで、当たり前のように手にしている自由や円というハードカレンシーも、生まれた場所がインドの貧困層だったり、共産主義末期のソビエトだったり、軍事政権下のミャンマーだったりすれば、もちろん当たり前のことではなくなる。
制度として社会に浸透している格差社会に、疑問を持つこともなく死ぬまで生きていくことになるかもしれないし、とんでもない物資不足に毎日疲弊していたかもしれないし、どんなにお金やモノを持っていても希望も自由も選択肢もない生活を強いられたかも知れないのだ。
また、生まれた時代がエジプト王朝の時代だったり、カンボジアのクメール王朝の時代であれば、もしかしたら現代に残る貴重な世界遺産であるピラミッドやスフィンクス、アンコールワットの遺跡群を造るための名もなき奴隷として一生を終えたかもしれない。
そして奇跡的に日本人として生まれたとしても、訪れたい場所が国境紛争や戦争、内政問題を抱えている時期に生まれてしまえば、どんなに望んでも訪れることは難しくなる。
世界中を自由に旅して、異文化に触れ、自分の頭で多くのことを考えるちきりんの生き生きとした姿が時にはうらやましく、時にはその考察の鋭さに唸らされながらも、そこからは同時に、それがどんなに恵まれていて素晴らしいことなのかを感じさせられずにはいられない。
日本で当たり前だと思っている自分の「常識」を相対化して考える経験をすることはとても刺激的で楽しいことだ。本書を読むと過去の自分の旅を思い出し、また旅に出たくなる気分がうずうずしてくる。それは、自分が旅することが好きな人間だからだろう。
著者が最後に述べているように、若者にとっては、以前とは海外に行くことの位置付けが変わってしまったのかもしれない。海外へ出ることへの興味は薄れ、沢木耕太郎の「深夜特急」に感じたような海外に対する憧れなんてものも消え失せたのかもしれない。日本にいるだけで満足できる状況にある人が、海外に行く必要性を感じないのは幸せなことなのかもしれない。
でも、僕はそのことに一抹の寂しさともったいなさを感じる。
たぶん世界中には今、このときにしか行けない場所、見ることができないモノがたくさんあって、日本という恵まれたバックボーンがいつまで続くのかは誰にもわからない。
著者には「それはエゴだ」と言われてしまうかもしれないが、行く必要がないとか、死ぬまでには行くとか言ってないで、恵まれた国、恵まれた時代に生まれたことをもっと利用して、自分の目で耳で、全身で異文化を体験することを楽しもうよ、外国に行こうよ、楽しいよ!とあえて言いたい。
そんなことを感じさせられた刺激的な本だった。
※この記事は無謀にも『世界を歩いて考えよう!』の書評コンテストに応募しています。
「社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう」(ちきりん 著)