[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]がんばることに疲れたあなたに/人生はあきらめるとうまくいく @kun_maa

こんにちは!楽しく、ゆったり、のんびりと生きていきたい @kun_maa です。
 
「がんばって!」「がんばろう!」「もうひとがんばり!」「がんばれニッポン!」
「あきらめるな!がんばれ!」「さあ、がんばっていこう」「今日もがんばるぞ」
 
毎日どれだけの「がんばろう」が使われているのでしょうか?
 
みんなどこまでがんばるのでしょう?
 
日本人は「がんばる」が好きな国民のような気がします。
 

でも、がんばることは本当にいいことなのでしょうか?

 
「人生はあきらめるとうまくいく」(ひろさちや 著)

 
 
<がんばるとはなにか>

辞書を引くと「がんばる」には三つの意味が出てきます。1つは、他人の意見を聞かずに、自分の意見を押し通すこと。我をはる、というのが語源です。自分が絶対正しいとがんばる人なんて、いい意味ではありませんね。
2つ目は、ある場所に座を占めて、少しも動こうとしないこと。立ち退きを迫られたが、がんばっている、などと使います。
3つ目は、苦しさに負けずにがんばること、努力すること。今の時代は、この意味で「がんばる」をつかっているのでしょう。
でも、なぜ苦しいときに負けてはいけないのでしょうか?
たとえば、5、6人で山登りに出かけたとします。1人体調の悪い人がいて、「俺はもうしんどいからやめるよ」とつらそうにしていたとき、あなたならなんと答えますか?
(中略)
人はどうしても、頂上にたどり着く、という目標にこだわってしまう。がんばる生き方を選んでしまいます。「どうしてもつらい、もう嫌だ」と泣きださんばかりの相手にも、「じゃあ、お前だけおりろ。俺たちはまだがんばる」と突き放してしまう。こんなふうにつかわれる「がんばる」は悪い意味だと思いませんか? P.32〜33

本書では、「がんばる」=欲望の充足=幸福の追求という捉え方をしています。
 
でも、人は欲望を充足させることによって幸福にはなれません。
 
なぜなら、欲望はいつになっても増えていくものだからです。
ある目標に到達すると、そこでは満足しなくなり、また先の目標を目指す。
 
結局、欲望を充足することによって幸福になろうとすると、永遠に幸福になれない方向に「がんばる」ことになるということです。
 
 
 
<あきらめるとはなにか>
「あきらめる」というと、ギブアップ、断念することを想像しますが、本来の意味は違います。
 
「諦める」のではなく「明らめる」。
 
ものごとを明らかにすることです。
問題の本質にある、自分の欲の正体を見極めることです。
 
そうすれば、「がんばる」=欲望の充足=幸福の追求ではなく、「少欲知足」(欲を少なくして足ること知る)ということが幸福につながるということが見えてきます。
 
欲をコントロールすることは人間にはできません。
だから、せめて欲はあってもいいから、それが増えていくものだと言う性質を理解して徐々に少なくしていくということです。
 
そして、「思うがままにならないことを、思うままにしようとする」から人は苦しみ、不幸になるのだから、「思うがままにならないことを、思うがままにしようとしない」こと、これが「あきらめ」であり本物の幸せなのだと述べています。

「しっかりあきらめる」ことができれば、がんばることもなくなるし、負け惜しみを言うこともなくなります。ただし、「しっかりあきらめる」のも実際にはなかなか難しい。手に入れるもの、手に入るものを正しく見つめて、評価しないといけないからです。私たちはつい、目的のために何かをおこなっている最中に、行為や手段が目的と入れ替わったり、まざったりしてしまうのです。
たとえばイソップ物語のキツネが「すっぱいぶどう」と言ったとき、キツネが何回もジャンプした努力を評価してしまうと、負け惜しみになります。そうではなく、「すっぱいぶどう」とは、最終的に手に入れたいぶどうに対する評価でなければなりません。(中略)目的物がすっぱければ、ジャンプすること自体、無駄になります。にもかかわらず、それを忘れて、すっぱかろうとなんであろうと手に入れないといけないと思ってしまう。その努力に酔いしれ、やがて疲れきったときに、投げやりになり、負け惜しみを言ってしまうのです。 P.96〜97

 
 
<そのままでいい>
誰でも、そのまんまでしか生きられないというのも「あきらめ」の境地です。
 
なまけものはそのままでいい。勉強しない、仕事しないそれも個性だと受け入れる。
 
そのまんまで、のんびり、ゆったり、楽しく生きていく。なんかいいと思いませんか?

ひきこもりの人間が楽しく、のんびり、ゆったりと生きていれば、ひきこもりをひょっとしたらやめられるようになるかもしれません。そのときには、俺はひきこもりをやめるもんか、とかたくなになる必要はありません。素直にやめればいいし、やめられなければ、もう少し続ければいい。それをなんとかしなくちゃいけないと、がんばるからかえってつらくなるのです。 P.135

 
 
<まとめ>
私たちは、一人の人間にも、人生にも何か意味があると思ってしまいます。
そうすると、「こう生きなければならない」という考えに束縛されてしまいます。
 
「人生ってこういう意味なんだ」、「生き甲斐を持たなければいけないんだ」とか自分で自分を縛り付けます。
そして、だから「がんばらないといけないんだ」とがんばり続けます。
 
でも、なんかそんなの変じゃない?
 
人生には意味なんかないし、生き甲斐もなくていいんだよ。
過去のことを思い悩んでも、未来を憂いてもどうにもならないじゃん。
 
どうにもならないことはほっといて、今、ここで生きている自分のことに集中して、やるべきことをやればいいんだよ。 
 
そのなかで、楽しく、ゆったり、のんびり生きる。
これが「あきらめる人生」であり、こういう生き方もあるんだよということを考えるためのヒントをくれる本でした。
 
本書は、けっしてこのような生き方をしろと強制していません。
 
がんばる人生を選び、がんばる生き方を選ぶのも当然自由です。
 
また、この本を読んだからってすぐに生き方が変るわけではないし、変えようとがんばってしまっては元も子もないとも述べています。
 
なんかがんばることに疲れちゃったな・・、こんな生き方でいいのかな?
そんな悩みを持ったときに、読んでみると心が軽くなるかもしれませんね。
 
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