こんにちは!@kun_maaです。
さいたま市内のアパートで、一家3人が餓死したとみられる問題が起きたり、同市では7年前にも餓死した母子が発見されていながら、今回も教訓として生かせなかったことがわかったり、ワタミの新入社員が入社して月140時間の残業を2ヶ月やって自殺する、内縁の夫が妻の連れ子を虐待死させるなど、誰かが何かおかしい、変だと気づいてもよさそうな事件が起きています。
いじめ、児童虐待、車内暴力、過重労働、環境汚染などなど… このままでは危険だと思っていても誰も対策を打とうとしなかった。あるいは推察できたはずなのに気づこうとしなかった。そんな例は昔から私たちの周りにはたくさんあります。
ある兆候や事実を見て見ぬふりをする理由は怠慢、関わり合いになりたくない、出しゃばりたくないと様々でしょう。
僕だっていろんなことに目をつぶり、見ぬふりしていることはたくさんあります。
この本は、サブプライムローン問題や米兵による捕虜虐待、神父による児童への性的虐待、鉱山でのアスベストによる健康被害など様々な事例を挙げて「見て見ぬふり」の実態に切り込んでいます。
そこで露わにされる「見て見ぬふり」の実態は驚きとともに、既視感をも私たちに与えます。
なぜなら規模と重大性の違いこそあれ、そこで行われていることは、私たちの生活のなかにも頻繁に見られることだからです。
そのような事態はなぜ起こるのでしょうか?
著者は次のような理由を挙げています。
1. 人間は本能的に、自分と似た人と繋がりたがる。周囲が同じ者同士になる結果、異なる価値観に触れることがなくなり、視野は狭まり、無意識の見て見ぬふりがはじまる。
2. 人間の脳は愛する人について批判的に考えられなくなる。
3.自分の信念を守ろうとするあまり、間違いを示すヒントに気がつかなくなる。
4. 人間の脳には認知の限界があり、組織の巨大化や過剰な労働などにより正しい状況が見えなくなる。
5. 都合の悪い真実にふたをする風潮。人は見たいものしか見ないものである。
6. 人は組織に属した時に無批判な服従のメカニズムが発生する。
7. 多人数や地位が高い者への同化が起こる。
8. 一人ならばできることが集団になるとできなくなる傍観者効果が発生する。
9. 立場や心理的、物理的な距離が遠いと見て見ぬふりが容易に起こる。
10. 金のために悪事を働くような倫理観の崩壊
このように、様々な理由はありますが、人間が見て見ぬふりに陥るとき、それは、知ることができて知るべき情報があるのに知らずにいる方が心地いいから知ろうとしないのです。
本書では、「見て見ぬふりをしなかった人たち」についても取り上げています。
彼らは時に孤独に、窮地に追い込まれたり、白い目で見られながらも真実を追求していきます。その孤独な闘いには感動すらおぼえます。
最後に著者は私たち一人一人が「私たちは何を知ることができるか?」「なにを知るべきなのか?」「なにを見過ごしているのか?」と冷静に自問自答することと、行動する勇気をもつことを説いています。
まとめ
私は全てのことが、白日のもとに晒されることが全面的に素晴らしいことだとは思いません。
ウィキリークスのようなやり方は正直好きになれませんし、組織において内部告発の多くが、私怨に基づくデタラメであることも経験的に知っています。
それでも、少なくとも生命や人権に関わること、人々の生活に大きな影響を与えるようなことを見過ごすべきではないと思います。
「私たちは何を知ることができるか?」「なにを知るべきなのか?」
「なにを見過ごしているのか?」
私は、本書によって普段の自分の思考、行動を問い直されているように感じました。
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