[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]映画「イニシエーション・ラブ」はよかったけど人間が分かり合うことの困難さを痛感 @kun_maa

小説に仕掛けられたトリックや張り巡らされた伏線から、映像化なんて不可能だろうと思われていた作品「イニシエーション・ラブ」。

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僕は原作を読んだ時にはこんな感想を持ちました。

ネタばらしはしていませんので、気になる方はご覧ください。 

kun-maa.hateblo.jp

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ものすごく高く評価をしていたわけではないけれど、恋愛小説として素直に読んでいた方が、どんでん返しを楽しめるという作品であり、登場人物のすり替えと時間軸のミスリードがポイントだと書いています。

そういう作品だという感想は今も変わっていません。

だから、この作品が実写化されると知った時にはびっくりしました。そんなことできないだろうと。

だけど、監督が堤幸彦監督だと知った時に、もしかしたら思いもつかないようなやりかたで映像化してくれるんじゃないかと期待したものです。 

kun-maa.hateblo.jp

 

実際に観た結論から言うと、ポイントである「人物のすり替え」については「あっ!そうきましたか」とあきれてしまうほどオーソドックスだけど効果的な方法で、「時間軸のミスリード」については原作にかなり忠実なやり方で見事に映像化されていました。

原作を知っているだけに、NIKEエア・ジョーダンのアップからsideBに切り替わるところで、ひとり暗がりでニヤリとしながら「ふむふむ」と頷いてしまいましたが、全体的によくできた作品だと思います。

効果的に使われている80年代のジャパニーズポップスをはじめとして、服装、髪型、車、小物類などの細部にまでこだわって、きっちりとあの頃の空気感を醸し出している映像は正直感動ものです。だっておっちゃんなんだもの。懐かしくてウルウルしちゃう。

 

主演の松田翔太前田敦子木村文乃の演技もよかったなあ。みんな自然体で気負う感じがないからこその観ている方の安心感。

日本の映画を観ていると必ず眠くなるんだけど、この作品では1回も眠くならなかったんだよね。僕にしては奇跡的。

それだけ作品自体を楽しめたってことだと思うんです。だって謎解き抜きでも十分おもしろかったですよ。

 

そして映画のチラシを見た人は知っていると思うけど、主演の3人と同じところに書かれている謎の俳優「亜蘭澄司」(アラン・スミシーと読みます)の存在ね。

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このアラン・スミシーってのは昔は監督の偽名として使われていたものですが、今回は俳優の名前を隠すために使われています。要するに亜蘭澄司なんて名前の俳優はいません。

ただ、それに該当する人はもちろんいます。これが「人物のすり替え」には必要なのですから。こういうところでも遊んでいるあたりが本当に楽しんで作品を作っているなあっていうのが伝わってきますよねー。

 

ということで、映画「イニシエーション・ラブ」はおもしろい作品でした。

観る前は、映像化なんかできるもんかと思っていた自分の凝り固まった考えを見事に柔らかくほぐしてくれましたし、キャスティングも素晴らしかったと思います。

 

ただ1点だけとても残念だったのが、最後に時間軸を遡ってご丁寧にこの作品の仕組みがまるわかりになるようなシーンを流してしまうところ。

これを観たら、猿でもこの作品のトリックや伏線が分かってしまうっていうくらい馬鹿丁寧に映像が説明してくれちゃっています。

これにはがっかりしました。作品の余韻を楽しむという権利を奪われた気さえしました。

せっかくの作品が台無しです。ぶち壊しです。手品のタネ明かしは厳禁でしょ。

 

ところが、映画が終わり劇場内が明るくなった途端に僕の後方にいた女子高生の集団の何人かが、「えー!意味がわからない!」って仲間に叫んでいました。

僕は耳を疑いましたよ。あの最後の映像を観ても意味がわからない人がいるのかと。

 

イニシエーション・ラブのキャッチコピーに「最後の5分全てが覆る。あなたは必ず2回観る。」ってのがあるんです。

僕もあの最後の映像がなければ、原作を読んでいない人は2回観たくなるかもしれないなって思いました。

でも、時間軸を整理してわかりやすく説明してしまった最後の映像を観たら、誰も2回観たいとは思わないだろうと。観ていた人全員が、トリックに気がついただろうと思ったんです。

でも、そうじゃないんですね。「えー!意味がわからない!」って叫んでいた女子高生の他にも、意味がわからず一緒に観ていた友人や夫、妻、恋人らに確認している声が周囲から聞こえてきたのです。

つくづく人間がわかり合うのって難しいんだなあって実感しました。

コミュニケーションがちゃんと成立することが奇跡みたいなもんかもしれないなって。

 

あの映像を観ても意味がわからない人がそんなにいるならば、相手に何かの意味を伝えることは絶望的に難しいことだと思わざるを得ません。それほどわかりやすい映像だったんです。それなのに...あゝそれなのに...

そんなことをつらつらと考えながらひとり帰り道をとぼとぼ歩きました。

僕の言葉はあなたにちゃんと届いているのでしょうか。

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[ま]ジョセフ・ゴードン=レヴィットに魅了される〜映画「メタルヘッド」/失ったものを嘆くより今を生きろ! @kun_maa

2011年公開のアメリカ映画。

タイトルからもわかるとおり、下品なメタル野郎をジョセフ・ゴードン=レヴィットがいい感じのイカれっぷりで演じていてかっこいい。

赤の他人の家でパンツ一丁になってタバコを吸うキリストのような姿に痺れる。

まあ!そんな破廉恥な!と思った人には向かない作品だ。

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本当に下品で放送禁止用語連発なのでR15+指定を受けている。

R15+だからといってちょっとエロい作品を期待すると見事に裏切られるのでご注意を。ただ下品なのだ。

 

登場人物は、自動車事故で母親を失くした喪失感から立ち直れない少年TJと、息子のTJ以上に妻の死から立ち直れない父親のポール。

TJは喪失感と母親への未練を抱えながらも気丈に振舞っているけど、父親は本当ボロボロ。精神安定剤を飲んでセラピー以外ずっと家に引きこもってなにも出来ない状態。

そんな二人を温かく見守り、なにもしてあげられないことを嘆く祖母。

祖母は傷心の息子と孫にとても優しいが、二人には祖母のありがたみが全然わかっていない。彼女の言葉は息子と孫には届かない。

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そして、いじめられているTJを助けたことで物語に登場してくる、なにをやってもうまくいかず人生に希望を見失い、失望の中ひとりで生きるスーパーのレジ係ニコール。

そんなニコールを演じるナタリー・ポートマンは薄幸のメガネブス(僕まで口が悪くなった)を演じていても、やっぱりかわいい。美しい。

どうしてもブスに見えない。困ったものである。

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失ったものに心を奪われて現実を生きることができずにいる親子と、厳しい現実に失望して手に入れられないものを嘆きながら生きる女性の人生に突然飛び込んできたのが、ジョセフ・ゴードン=レヴィットが演じるイカれたメタル野郎ヘッシャーだ。

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話の流れ的に、このヘッシャーという男はイカれているように見えて実はいい奴なんじゃないかと期待するのだが、そんな期待は激しいヘビメタのビートによって打ち砕かれる。

やることなすこと尋常ではない。

TJたちが暮らす祖母の家に勝手に上がり込んで居候を決め込むわ、いじめっ子の車にガソリンをかけて燃やすわ、TJを車で跳ね飛ばすわ、他人の売家に勝手に入り込みプールをめちゃくちゃにしておいて、戸惑うTJとニコールをその場に置き去りにするわとやりたい放題。

そこになにか深い教訓や意味があるのかと勘ぐるだけ無駄である。彼は今を自由に生きているだけなのだから。

そこには他人への遠慮も、失うことへの怖さも、過去への後悔もない。

ハチャメチャな、自分の気持ちに素直に生きている下品で粗野だが自分をごまかさない男がヘッシャーなのだ。

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そんな彼の行動に振り回され、傷つけられながらも人生を見失った親子と女性は今を生きることの大切さに気づかされていく。目の前の人を愛し、大切にすることの素晴らしさを思い出していく。

失った金玉を嘆くよりも残った金玉と竿の存在を喜べ!

そんなヘッシャーの叫びが耳に残る。

失ったものばかりに囚われて、目の前の祖母の優しさと孤独に気づけなかった親子。

手に入れられないものばかりを見つめて嘆くことばかりで、今を生きる意味を見失ってしまった女性。

どちらも、失ったもの、手に入れなれないものばかりを追いかけて、今あるものを慈しみ、その大切さを見ることもなく無駄に生きていることに気がつく。

そしてこの作品を観ている自分も気づく。

今を精一杯生きることの素晴らしさを。むちゃくちゃでもいいから人生を楽しむことを。

失った金玉を嘆く人生の虚しさを。

イカれた男ヘッシャーのハチャメチャな生き様をくだらないと笑い飛ばすこともできる。

でも、ヘッシャーを笑い飛ばしたお前は何者なのか。お前は今を精一杯楽しんで生きているのか。

そんなことを、下品な笑いと放送禁止用語と常軌を逸したハチャメチャぶりでジョセフ・ゴードン=レヴィット演じるヘッシャーが、観る者の喉元に突き付けてくるような作品である。

元気を失くして落ち込んでいる時、とにかくいろんなことが嫌になった時に観ると、もしかしたら元気付けられるかもしれない。

僕はこの作品が好きだ。そして、ヘッシャーの正体が謎のままってのがイカしてる。 

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[ま]映画「カッコーの巣の上で」/ジャック・ニコルソンの名演と人間の尊厳を扱った名作 @kun_maa

1975年(日本では1976年)公開のアメリカ映画。

いわゆる名作と呼ばれる作品のひとつに数えられ、第48回アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞の主要5部門を独占したことでも知られている。

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ジャック・ニコルソン演じるマクマーフィーは、刑務所での強制労働を逃れるために精神異常を装って精神病院に収監される。

彼の精神病院への収監は、本当に精神異常なのかどうかを見極めるためのものであった。しかし、まったく精神異常の様子が見られないにもかかわらず、彼は刑務所に送り返されることも病院を出ることもできなくなる。

医師や看護師長の恣意的な判断によって「精神病者は作られる」のだ。それも悪意でなくもっともらしい善意をまとって。

そして、それは彼だけに当てはまるものではないことは容易に想像がつくだろう。

これでは実質的な「無期懲役」と同じである。

患者の人格や人権などはお構いなしに、自分たちが法律だと言わんばかりに病院内に君臨する看護師長や監視スタッフたち。

すべてが彼らの決めたスケジュールに従い、なんの薬かも説明されないまま強制的に投薬され、自由も制限されるという病院内では暗黙のルールに対して、外の世界からの視点で違和感を感じ、反抗するマクマーフィー。

傷害や強姦の犯罪者であるマクマーフィーがここでは一番人間らしく生きており、犯罪歴のない「精神病者」が人間としての生き方ができないという皮肉さ。

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人間としての自由意思の尊重を当然のものとして要求し、自分たちの自由が恣意的に制限されていることになんの疑問も抱かない患者たちに苛立つマクマーフィー。

彼の自由奔放な行動に戸惑いながらも、次第に心を開いていく精神病棟の患者たち。

ジャック・ニコルソンの演技はさすがにすごいが、周囲を固める精神病患者役の共演者の迫真の演技も見ものである。

なんか見覚えのある顔だなあと思っていたら、ダニー・デヴィートだったり、クリストファー・ロイドだったりして驚いた。

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病院から集団で脱走し、クルーザーを無理やり貸し切っての乱痴気騒ぎや、マクマーフィーの影響を受けて自分の意思に目覚めた患者たちの病院権力に対する反抗、挙げ句の果ては病院内に酒と女を連れ込んでのどんちゃん騒ぎ。

マクマーフィーによってもたらされるさまざまな経験を通して、次第に人間らしくなっていく患者たち。

しかし、その一方で行われる懲罰としての電気ショック療法やもっと恐ろしい治療法も...

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閉鎖病棟という限られた空間のなかでの狭い人間関係が中心だが、人間としての当たり前の尊厳ある生き方に目覚めて、次第に生き生きとしていく多くの入院患者の姿に、正常と異常を分けているものは果たして本当に病気なのか、それとも人間を人間として扱わない態度なのかと考えさせられる。

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タイトルにもなっているカッコー(cuckoo)には、「気が狂った」とか「間抜け野郎」という意味があるという。

気が狂った間抜け野郎たちが住む「カッコーの巣」に閉じ込められているのは、本当に気が狂った者たちなのだろうか。

それを決めている人々は本当に「正常」なのだろうか。

そして、その「カッコーの巣」を乗り越えて「精神異常者」という名の泥沼から飛び立つことはできるのか。

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最後まで目が離せないストーリー展開にあっという間に時間は過ぎ、ジャック・ニコルソンの名演技に唸らされる。

ある意味衝撃のラストシーンでは、我々は人間の尊厳について重い問いかけを突きつけられることとなる。

やはりこれは名作と呼ぶにふさわしい。

ジャック・ニコルソンのファンはもちろん、ヒューマニズム作品好きな方や精神病院に興味関心のある方には、ぜひ一度は観てほしいおすすめの作品である。 

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[ま] 映画「ベイマックス」は「Big Hero 6」なんかじゃない/タダシの想いとベイマックスの心に涙する @kun_maa

映画の宣伝方法を巡って、海外版の宣伝や作品内容との乖離を主な理由に一部でけっこう批判を浴びているようですが、ようやくディズニー映画「ベイマックス」を観てきました。

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結論から言うと、ヒーローものとして観たこの作品は全然つまらないです。

原題は「Big Hero 6」で、原作も日本を舞台にした同名のマーベルコミックということですが、登場人物やベイマックスの設定など諸々変わっているようで、ヒーローものとしては中途半端な感じが否めずその世界観に入り込めないです。

キャラクターもヒーローとしてはダサいというか、ロボットオタクのお遊びから抜け出せずにやっぱりつまらないなあと思いました。

僕が観たいベイマックスは、こんな作品じゃないんだよ。

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そんなヒーローものとして観るのではなく、この作品はやっぱりタダシというひとりの男のロボットに対する熱い想いとその結果生まれたベイマックスというロボットの心を描いた作品として観るべき作品なんじゃないかと思うわけです。

タダシがケアロボットとして、その想いを込めて作り上げた「ベイマックス」。

つまらない復讐劇の道具として使うべきものではないんですよ。

彼はベイマックスを人を傷つけるためではなく、人に寄り添い優しく包み込むための利他的な存在として作り上げたはずなのです。

そうじゃなければ、ベイマックスの中に録画されていた優しさと情熱の混ざった表情や、度重なる失敗にも諦めずに最後までケアロボットとして完成させた時の喜びは説明できないでしょう。

僕は復讐心で冷静さを失ったヒロに、ベイマックスがこのタダシの映像を見せるシーンで我慢できずに泣きました。ひたすらタダシの想いにグッときました。

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そして、どうでもいい「Big Hero 6」としての戦闘シーンにすっかり興醒めし、もう観るべきものもないかと諦めかけたその時に、クライマックスにベイマックスとヒロとの別れのシーンがブッ込まれてきましたね。

ヒロたちを守るために、ベイマックスは自分を犠牲にして異次元空間に飲み込まれていくのですが、このシーンを観ながら、そういえばベイマックスはいつもケアロボットであることを忘れなかったな(ヒロにチップを入れ替えられた時以外は)ってあらためて思いました。

ヒロの自分に対する扱い方に、常に「それはケアロボットに必要なのか?」という疑問を投げかけ続けながらも、ヒロや仲間たちに寄り添い続けたベイマックス。そんなことを思いながら彼が消えていくシーンを見ていたらやっぱり涙が止まりませんでした。

彼は結局、最初から最後までタダシが思い描いた素晴らしいケアロボットだったんです。

そこには、タダシが種をまいてベイマックスが育てた温かい心が確実に宿っていました。

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消えていったベイマックスと、ヒロの手元に残ったベイマックスの心の素とも言えるタダシが作成したチップ。このチップさえあれば、理論上はベイマクスはまた作れます。

実際、ヒロはベイマックスの2号機をいとも簡単に作っていたし。

でもね、僕はどうしても引っかかるんですよ。引っかかるというよりは、違和感に近いかな。果たして、ベイマックスの「心」はチップの中だけにあったのかと。

だって、彼が自分を犠牲にしたのは自分でチップを抜いた後になるんじゃないかと思うんですよね。彼の見せた利他的な優しさはチップの中だけに存在したのでしょうか?

なんで、新しいベイマックスを作ることができるほどの技術があるなら、自分を犠牲にして異次元空間に飲み込まれていった"あのベイマックス"を、ヒロたちは救助に行こうとしないのでしょうか?

能天気にヒーロー気取りで、"あのベイマックス"を忘れていいのでしょうか?

そんなことを思いながら、AIの歌う「Story(English Ver.)」を聴いていたら、やっぱり涙が流れ落ちました。

やっぱり、僕にとってこの作品は「Big Hero 6」なんかじゃないんだよ。

死んでしまったタダシの熱い想いと、それに応えたベイマックスの心の物語なんだ。 

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[ま]STAR WARS(スターウォーズ)の最新作「THE FORCE AWAKENS」の予告動画がYouTubeで公開中です @kun_maa

僕の青春とともにあったと言っても過言ではない、あのスターウォーズの最新作「THE FORCE AWAKENS」の予告動画がYouTubeで日本語字幕付きで公開されています。

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スターウォーズといえば、日本初公開が1978年ですよ。もう今から36年前のこと。

この時公開されたのが後にエピソード4となる作品でした。

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公式には全6部作とされ、もう続編は作られないのかと諦めていましたが、2012年にエピソード7の製作が公表され、そりゃもう喜んだものです。

そして今後エピソード9までの製作が予定されています。もう嬉しすぎてフォースが使えそうです。

今回ついに予告動画が公開されたエピソード7は1983年に公開されたエピソード6「ジェダイの復讐(現在は「ジェダイの帰還」と改題)」の30年後の世界を描いたストーリーとなっています。

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今作の監督は「クローバーフィールド」や「スーパー8」、「スタートレック」シリーズなどを手がけているJ.J.エイブラムスが担当し、往年の有名な登場人物は当時のキャストが演じると伝えられています。

ハン・ソロルーク・スカイウォーカーレイア姫C-3PO、チューバッカなどもそのままのようです。

みんな歳をとったと思うけど、大丈夫なのかな。アクションシーンとかちょっと心配。

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エピソード6で、すでにダース・ベイダーとルークの死闘の決着はついていますが、この予告動画ではシスらしき人物が十字形のライトセーバーを持っているシーンが登場します。新たな暗黒面の登場人物に期待が持てます。なんかすっげーかっこよさそうです。

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公開は2015年12月なので、まだ1年以上先です。もう早く観たくて待ちきれません。

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短いながらも、久しぶりにスターウォーズの世界に触れることができてワクワクします。

昔のDVDを探してしまいましたよ。まだまだ時間はあるから、あとでじっくり観直そうと思います。

ああ、やっぱりスターウォーズはいいなあ。


「STAR WARS : THE FORCE AWAKENS」特報 - YouTube

 

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[ま]映画「白ゆき姫殺人事件」/人は自分に都合のいいことしか語らない @kun_maa

2014年3月公開の日本映画。

原作はあの「告白」の湊かなえだが、僕は原作を読んでいない。

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出演は井上真央綾野剛小野恵令奈貫地谷しほり谷村美月など、けっこう実力派の若手を集めている。モデルの菜々緒の初出演映画としても話題となったけど、個人的には小野恵令奈が超かわいかったなあという作品。えれぴょん、なんで引退しちゃったんだろう?もったいないよな。

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まあ、それはとりあえず置いといて作品の感想を少し。

社内でも評判の美人OL三木典子(菜々緒)が刃物で滅多刺しにされて死体を焼かれるというセンセーショナルな事件が長野県内の国定公園「しぐれ谷」で起こる。

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その直後に姿を消した同僚の城野美姫(井上真央)が怪しいとの情報を、同じ化粧品会社に勤務する友人から掴んだ映像製作会社の契約社員赤星雄治(綾野剛)は、業界で這い上がるチャンスとばかりに、単独で関係者への取材を行いつつ、ネット上で不確定な情報を拡散していく。

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交錯する情報と、さまざまな憶測。

城野美姫の過去をほじくり返して、あたかも彼女が犯人であるかのような報道を続ける赤星とそれを無検証で垂れ流すワイドショー、いわゆる関係者の証言と呼ばれる無責任であいまいな決めつけ、ネット上での無責任な書き込み。それらの紡ぎ出す「事件の真相」とやらはひどく居心地が悪く不安定で、彼女が犯人に違いないと決めつける人々も、彼女を擁護する人々も同じ穴のムジナである。

証言を集めれば集めるほど城野美姫が怪しいという印象を誰もが持つ(観客でさえ)のだが、そもそもその取材方法には偏向性があるのではないか。そして誰もが自分には不利な証言はしないのではないか。という問題点が浮かび上がってくるとともに、真実は藪の中へと消え去っていくように感じる。

それは赤星による取材をもとにした関係者の無責任で勝手な証言により事件が語られ、「事実」と思しき断片が寄せ集められ、偏見という接着剤でつなぎ合わされていくという足元の不安定さによるものである。

城野美姫は本当に三木典子を殺したのか?そうでないのなら、なぜ彼女は姿をくらませたのか。その真相らしきものがわかるのは作品が始まって1時間以上が過ぎた頃にようやく取り上げられる城野美姫の視点である。

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誰もが自分の視点からしか物事を見ることはできない。さらに、記憶は自分の都合の良いように捏造され、語る言葉からは自分に都合の悪いことは抜け落ちていく。

隣の芝生は青く見え、自分の不幸は誰かのせいであると信じ、誰もが傷つきながら悲劇は加速していく。

ネットは真実を暴く?ネットは冤罪をつくる?

いったいなんの冗談なのか。苦笑いさせられる。

一見すると、人を貶めて要領よく生きる人間だけが得をしていいのか?そんな人間死んで当然、まじめに生きていればいいことあるさという虚しいメッセージを放っているように見えるかもしれないが、そんな薄っぺらなつまらない正義感ではなく、もっと人間の薄汚いドロドロとした情念のようなものと身勝手さを感じさせられる作品だった。

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城野美姫の小学生時代の友人である谷村夕子(貫地谷しほり)が赤星に向かって言った言葉が耳に残る。

いいかよく聞け。人の記憶ってのは捏造される。人は自分の都合のいいようにしか記憶を語らねえ。大切なことは見逃すな。

一応、ミステリー作品なので多くはないけど伏線も張られている。それほどたいしたものではないので気付かなくても特に影響はないと思うけど。

ミステリー作品ではあるけれど、現代社会に対する皮肉に満ちた意外と深い作品である。

あまり期待はしていなかったけどおもしろかった。

肝心の事件そのものは、わかってしまえばしょぼいものだけどね。 

白ゆき姫殺人事件

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