[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]遠くの死を愁いて @kun_maa

ナイジェリア北東部で空軍機が避難民キャンプを誤爆し、避難民や援助関係者ら100人以上が死亡したとAP通信が伝えた。

そのニュースを受けて国際医療支援団体が同日、少なくとも52人が死亡し、120人が負傷したと発表、誤爆は「衝撃的で容認できない」と強く非難したほか、赤十字国際委員会もナイジェリア人の赤十字職員6人が死亡し、13人が負傷したと明らかにした。

 

新聞を読み終えた武藤が僕にその記事を見せながら「ひでぇな...」とつぶやく。

彼の真意は僕にはわからない。人道的な見地で本心から憤っているのか、普段から戦争反対を公言している彼の思想的な条件反射なのか。

わからないのは彼の真意だけではなかった。僕には遠い国の戦争犠牲者を想像することもできなければ、自分を取り巻く日常の出来事すら薄い膜を隔てた別世界でのことのようにしか感じられなくなっていた。こんな時どんな顔をすればいいのだろう。

 

自分がおかしいと感じ始めたのは夜眠ることができなくなってからだ。

連日の残業に休日出勤、帰宅後も仕事を引きずり興奮したままの脳では寝入りが悪く、やっと眠れたと思えば仕事の夢にうなされて夜も明けないうちに目が覚める。その後はどうやっても眠れずに朝を迎える日々。薬局で市販の睡眠改善薬を買ってきたが効果は全く感じられなかった。

 

大学を卒業して業界ではそこそこ名の知れた中堅の会社に就職した僕は、同期入社の中でも出世頭だった。地味な仕事を黙々とこなし、勤務態度を評価されて配属された毎日神経を削られるような厳しい仕事に不平も言わずに耐え、私生活と引き換えに会社に利益をもたらした。典型的な「社畜」ってやつだ。

人が嫌がるような仕事でも積極的に引き受け、ほとんどの時間を会社に捧げるように働き続けて成果を上げていく僕を影で揶揄する者も大勢いた。

「そうまでして稼ぎたいのかね」、「あんな社畜にはなりたくないよな」、「あいつ何が楽しくて生きているんだろう」。

僕は仕事に没頭すればするほど自分が認められていくのがうれしかったし、これといった趣味もなく仕事くらいしか自分を表現する方法を知らなかった。どんなに大変だとしても、会社への帰属意識が僕の励みとなり、仕事で評価されることが生き甲斐だった。

 

上司の勧めで見合い結婚をした。結婚しても相変わらず仕事優先で家庭を顧みることはほとんどなかった僕に5歳年下の妻はとても優しかった。

幸いなことに2人の子供にも恵まれ、会社の取引先の銀行で30年のローンを組み都内に快適なマンションも手に入れた。

家族には不自由を感じさせない人並み以上の生活をさせなければ。僕は益々必死で働いた。職位が上がるにつれて仕事は直接自分がこなせば済むものから、チームとして成果を出すよう管理をする役割へとシフトしていった。プレイヤーからプレイングマネージャーへと変わることに戸惑いながらもなんとか役割を果たしていった僕は、同期の中で最も早く課長となった。

自分で自分が誇らしく、家族や両親にも喜ばれて順風満帆な人生。

 

僕は社運をかけた新規事業を中心となって推進するため新たに設けられたセクションの課長となった。問題は最初から山積していた。

山積する問題に加えて、抜擢とも言える若い課長となった僕に対する社内での風当たりは想像以上に強かった。僕の慢心もあったのかもしれない。

僕に対する反発もあってか、関係するセクションの協力が思ったように得られない。そのために新規事業計画は難航していった。それならばもっと自分が頑張らなくてはと思い込み、独断専行しようとした僕は次第に孤立していった。

焦りから無茶な指示を出す僕に対して部下からも反発が起きた。

上司からは計画の進捗状況報告を常に求められ、関係セクションの協力は得られぬまま部下からはいつしか蔑まれていた。

それでも僕は誰にも助けを求めることができなかった。

僕の置かれた状況を見かねた同期の中には親切に忠告してくれる者もいた。時々新聞片手に昼食を誘いに来る武藤もそんな一人だった。社交的な彼との無駄話は僕の心を和らげてくれはしたが、自分がこれまでやってきた仕事に対するプライドが邪魔をして僕は彼の忠告さえも素直に受け入れることができなかった。

 

自分が頑張らなければ。もっと頑張らなければ。この程度の仕事の障害は何度も乗り越えてきた。もっともっと頑張れるはず。頑張らなければ......

気がつけば眠れなくなっていた。連日眠れないことで集中力や判断力も鈍り、周囲から見ても僕の様子は危うく見えていたのかもしれない。「課長、大丈夫ですか」と声をかけられることが増えた。そんな言葉すら自分への非難に聞こえた。

 

やがて毎朝出勤するのが苦痛になった。仕事に行こうとするとめまいがしてしゃがみこんでしまう。それでも家族をがっかりさせたくなかったので何も言えなかった。めまいや吐き気をこらえて出勤し、あまりの辛さにトイレの個室で泣いた。

そんな状態でも自分への会社の期待を裏切ることはできないと思っていた。

自分がやらなければ。もっと頑張らなければ......もっと頑張らなければと気ばかりが焦って空回りし、僕は失敗を繰り返しどんどん孤立を深めていった。

 

やがて僕は自分さえいなければ仕事が上手くいくのにと思い込むようになっていった。

消えてしまいたかった。仕事が進まないのは全て自分のせいだった。みんなに申し訳なかった。自分さえ消えてしまえば全て上手くいくのに。もう自分には何もできる気がしなかった。

僕の様子がただ事ではないと気づいたのか、普段は何も言わない妻に病院へ行くことを勧められた。自分が付き添うからと。

消えてしまいたい一心で自分の感情すらわからないくせに、その後に及んでも僕は妻にも子供たちにも弱くて惨めで情けない自分をさらけ出すことができなかった。

「今日、仕事を早退して病院に行ってくるから。一人で大丈夫だから...」と妻に告げて家を出た。

もうどうしたらいいのかわからなかった。

気がつくと最寄駅にいていつもの通勤電車がホームに滑り込んでくるところだった。僕はそのまま前のめりにホームから落ちた。

後ろで誰かの悲鳴が聞こえたような気がした。

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自殺者が22年ぶりに「低水準」となったという見出しの記事を読みながら、武藤は同期で最初に課長になったあいつのことを思い出していた。先日昼飯に誘った時の顔色の悪さ、目の虚ろさが尋常ではなかったからだ。今日の昼でももう一度誘って病院の受診を勧めてみるか。

昨年1年間の全国の自殺者は前年より2,261人少ない2万1,764人で、7年連続の減少となったことが警察庁の集計(速報値)でわかったと告げる記事を読みながら「それでも2万人超えかよ。ひでぇ国だな」と独り言をつぶやいた武藤の耳に駅のアナウンスが聞こえた。「ただいま入った情報によりますと◯◯駅において人身事故が発生し、現在救助活動を行なっているため上下線ともに運行を見合わせます。なお再開の見込みは......」

武藤は無意識に舌打ちをしていた。

周囲では通勤客の無数の舌打ち音とあからさまな不満をあらわす多くのため息が漏れていた。

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