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[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。                     

[ま]新訳版「愛するということ」/「愛」について知りたいならフロムの兄貴に訊け! @kun_maa

書感

エーリッヒ・フロムの本を読むなんて、学生時代の課題図書「自由からの逃走」以来だ。

「愛」についていろいろと思い悩むところがあって、たまには愛について語られた本を読んでみるのもいいかと思い、本書を手に取った。

原題は「THE ART OF LOVING」(愛の技術)で1956年の著作である。

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「愛の技術」といっても、いわゆる「恋愛マニュアル」的な本ではまったくない。

「はじめに」の冒頭にはきっちりとこんな断り書きがある。

愛するという技術についての安易な教えを期待してこの本を読む人は、きっと失望するにちがいない。そうした期待とはうらはらに、この本が言わんとするのは、愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが簡単に浸れるような感情ではないということである。(P.5)

フロムは「本当に愛するということ」は誰にでもできることではないと断言している。

本当の愛は成熟した大人だけが体験できる感情であり、それを体験するためには、愛とは何かを学び、愛するための技術を習得する必要があると言っているのだ。

そう、この本は「愛の理論」とそれを習得するための「愛の習練」について書かれた本なのである。なんか買う本を間違えた感がひしひしと伝わってくる。

愛について学ぶってなんだ?と思った。どうもピンとこなかった。

だって、愛について勉強なんかしなかったけど人を好きになることができたし、恋愛だってやってこれた。まあ、それが上手くできたかどうかは別にしてね。

愛することは生まれながらに身に付いている感情なのではないかと思っていた。

しかし、フロムは愛について学ぶべきことは何もないと思い込むことは、次の3点において誤りだという。

①他人から「愛されること」ばっかり考えていないで、他人を「愛すること」を考えなよ。愛されるためにすることと、愛するためにすることは全然別物なんだぜ、ベイベー!

②愛の問題は「能力」の問題じゃなくて、「対象」の問題だと思い込んでいるんだろ?

愛することは簡単だけど、自分が愛するにふさわしい相手、すなわち「対象」を見つけることが難しいんだと思っているんじゃないかい。あんた、そりゃ市場の原理に毒されているよ。愛は商品じゃねーんだ。交換価値に見合った対象ありきじゃなくて、まず愛する「能力」だろ?そうじゃないかい?ブラザー!

③あんた、恋に「落ちる」ってことと「愛している」ってことを混同しているんじゃねーか?恋に「落ちる」ってのは始まりに過ぎないんだぜ。「愛している」ってのはそれが長続きしていることさ。セックスして盛り上がっているだけの関係なんて、長続きしないだろ?思い出してみろよ。ほら、覚えがあるだろ?

表現は勝手にアレンジさせてもらったけど、フロムはだいたいこんな感じのことを書いている。フロムがこんなファンキーな感じだったらもっと親しみやすいんだけど。

それはさておき、この3点において愛に対する考え方が誤りだとすると、普段「愛すること」だと思っていたことの多くが実は誤りであり、「本当の愛」ではないということになってしまう。

イケメン(セクシーな美女)にモテたい、燃えるような恋がしたい、自分に見合った人と恋に落ちたい、愛し合いたい、セックスがしたい...etc.そんな感情の多くが「愛」として誤りだというならば、いったい何が本当の愛なのだろう。

そう、この本は「愛」をテーマにはしているが、実際は資本主義社会に対する社会変革をも視野に入れた哲学書のような本なのである。

フロムが、(当時の)社会の中で失われつつある本当の愛の大切さを説こうとした思想書、それがこの「愛するということ」なのだ。

え?がっかりだよって?そう思うのも無理はない。僕もそうだったから。

この本をまじめに読むと、フロムが理想とするところの「愛」についての様々な考察、愛の技術習練のための前提条件、資本主義と愛の関係性、フロイトの理論に対する批判などなど、けっこう難解な部分も多く、楽しい恋愛マニュアル本だと思って手に取ると痛い目を見ることになる。

しかも、いろいろ小難しいことは書いてあるものの、どうしたら「愛することができるか」という肝心な部分である「愛の具体的な手ほどき」については一切書かれていない。

愛に迷い、本書を手に取った子羊を次のように放り投げるのである。フロムの兄貴、あんまりだぜ。

愛することは個人的な経験であり、自分で経験する以外にそれを経験する方法はない。(中略)愛の習練に関する議論に何ができるかといったら、愛の技術の前提条件、愛の技術へのいわばアプローチ、そして、それらの前提条件とアプローチの習練について、論じることだけである。目標への階段は自分の足で登っていかなければならない。(P.160~161)

結局は、自分で何度も愛するということを経験し、その経験の中で成長し、成長することで成熟した人間となり、本当の愛に近づくことができるということがいいたいようだ。確かに、愛するということが極めて個人的な経験である以上、それしか方法はないのかもしれない。それにしたって・・・ねぇ?

 

とはいえ、本書でフロムが示している愛を達成するための4つの基本条件には、その困難な道のりに対するヒントが多分に含まれている。

それは、表題だけ挙げると「ナルシシズムの克服」であり、「信じること」であり、「勇気をもつこと」であり、「愛とは落ちるものではなく能動的に飛び込むもの」である。

小手先の「愛」のテクニックではなく、目の前の「愛」に溺れるのでもなく、真剣に「愛」について考察し、その「愛」が行き着く先を知りたいと思うのなら、ぜひ本書を手にとって欲しい。フロムの兄貴が滔々と「愛」について語ってくれるはずだ。

もちろん、それなりに難解であり、全てを理解することは難しいかもしれないが、「愛」に対する認識を改めさせられる一冊である。

そして、「フロムの兄貴、兄貴の説く『愛』は現代社会で実現可能なんですかい?」ってフロムに問いかけたくなる本でもある。

おかげで、「愛」についての僕の迷いは深まるばかりだ。

愛するということ

愛するということ

 

 

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