[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。                     

[ま]ウルトラセブン第12話とかカップヌードルのCMとか @kun_maa

ウルトラセブンの第12話が2012年の現在でも、欠番扱いされていて再放送はおろか、DVDなどにも収録されていないことは、ウルトラシリーズのファンの間ではけっこう知られている話です。

僕の大好きなHuluでは第12話はどう扱われているでしょうか?

全部で48のエピソードが収録されています。

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1話から順番に見ていくと・・・

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やはり、11話の次が13話になっていて、12話がありません。

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この欠番の12話とはこんなストーリーです。

<第12話 遊星より愛をこめて>

宇宙のどこかで大爆発が起きた。宇宙パトロール中だったソガ・アマギ両隊員は、大量の放射能を検出する。

一方、東京では若い女性が白血球が急に欠乏する『原爆病』に似た症状で、昏倒し、やがて死亡する事件が多発していた。そして彼女たちは皆、地球製ではない謎の腕時計を所持していた。

二つの「線」は、やがてアンヌ隊員の旧友・山辺早苗と彼女の恋人・佐竹三郎で交差する。佐竹が早苗にプレゼントした腕時計には、人間の血液を奪う機能があったのだ。そして佐竹は、遂に地球人の血液を奪いに来たという本性を現し、スペル星人放射能に冒された異形の姿をさらけ出す。

劇中に登場するスペル星人の姿は、

  • 全身は真っ白。
  • 凹凸の無い、能面のような顔。
  • 体には、ケロイドを彷彿させる黒い大きなシミのようなものがある。(ケロイドとは火傷等による皮膚の外傷状態。通常生活でもおこりうる。)
  • シミのようなものは、時折オレンジに点滅する。

脚本におけるスペル星人は、「かぶと虫のような」と表現されている。にも拘らす、上記したような姿になったのは、監督の実相寺昭雄の指示によるものだった。実際にデザインした美術担当の成田亨は、自著の中で彼が『ウルトラマン』で定めた怪獣デザインのポリシーと相反するために難色を示したものの、監督に押し切られて「ほとんど投げやりにデザインした」と回顧している[2]

さらにスペル星人は腕時計に偽装したメカで血液を収集するが、その被害者は白血球が皆無に近くなって死亡し、モロボシ・ダンは「原爆病によく似た症状じゃないですか」と語っている。

なお、作中でウルトラセブンの出自が、M78星雲であることが初めて言及されている。(wikipedia から引用)

 

この第12話、当初の放送及び再放送では、問題なくテレビで放送されたそうです。

それがなぜ現在に至るまで欠番扱いとされているのか。

その経緯は次のようなものです。

第12話の本放送は1967年12月17日である。本放送および、何度か行われた再放送においても何の反響も無かった。再放送でも、通常通りの放送スケジュールに組み込まれて放送され、また、関連商品も発売され、各種イベントにも着ぐるみが度々登場していた。

しかし、1970年10月に発行された、小学館の『小学二年生』の付録にあった怪獣カードに、スペル星人の説明として「ひばくせいじん」という記述があった。このカードを見た中島ゆかりが、東京都原爆被害者団体協議会の専門委員であった父、中島龍興(在韓被爆者問題市民会議代表)に相談し、父親は『小学二年生』編集部に抗議文を送った。

この事を、円谷プロ側の正式回答を待たずに新聞で「被爆者を怪獣扱い」などと一方的に報道されたため抗議運動は短期間の内に広島・長崎の被団協にも拡大し、全国的な行動になった。

抗議活動を受けた円谷プロは、1970年10月21日付けで謝罪の意を表し、スペル星人に関する資料を公開しないこととした。また、小学館をはじめとする各出版社も、スペル星人を扱わないことにした。この取り決めにより、第12話は自主的に封印されることとなった。(wikipediaから引用)

 

たしかに、「原爆病」や「ひばくせいじん」などの配慮に欠ける表現と1970年代という時代を考慮すると「抗議運動→欠番」もやむを得なかったという気はします。

表現の自由という言葉があるけれど、本当に難しい。

たかが、子ども向けの番組だけど、子ども向け番組だからこそ、その表現には気をつけなければならないのでしょう。

もしかしたら、ただ人を傷つける意味しかない、表現されるべきでないものってのもあるんだろうなあとは思います。

 

インターネット上で第12話を探せば映像は見つかると思います。

本当は、自分の目で見てその作品が欠番にあたるのかどうかってことを、自分の価値基準に照らし合わせて判断するべきなんでしょうね。

きっとその判断は時代や文化や生活環境によって影響を受けて変わってくると思うけど。

そして、すべての人が好ましいと思うものも、好ましくないと思うものも存在しないでしょう、たぶん。

 

だからといって、なんだかわからないけど抗議を受けてうやむやに自粛するだとか、だれがどういう理由で決めたのかわからない自主規制だとかっていう姿勢は好きではないし、そういうことが普通に行われる社会ってなんか健全じゃない気がします。

なぜその表現がタブーとなるのか、ある作品がダメなら、なぜそれはダメなのかということを自分も含めてみんなが考えて、自分なりの判断をするのってすごく大切なことなんじゃないかなと思います。

 

そういう意味では、抗議が殺到したという理由でお蔵入りされたと噂されている、このカップヌードルのCMなんて、取りやめる必要があったのか僕は今でも非常に疑問です。

僕はこのCMはすばらしい作品だと思っていますから。

少年が銃を持っている映像がけしからんという人々は、少年兵がいるという事実に蓋をしてなにを守ろうとしているのか。この映像が一体誰を傷つけるというのか。

このCMの素晴らしさは抜けるような青さの海と少年兵とその笑顔が、現実の不条理さを描いていることにあるんじゃないのか。

あなたは、どう思いますか?

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