[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]日本を捨てた男たち @kun_maa

こんにちは! 将来はタイに移住したいと思っている男@kun_maaです。

 
僕がなぜタイに移住したいと思っているのか、理由はいくつもありますが一番大きな理由はタイ人社会の持ついい意味での「いい加減さ」とタイ人の「温かさ」です。
 
僕が日本社会で生きている中で感じる息苦しさは「競争主義」「ムダの排除」=「効率化」で言い表せるかもしれませんが、なにか年々ギスギスした社会になっているような気がしています。
なにか失敗が許されないものをひしひしと感じています。
 
でも、タイ人には人生もっと適当に楽しく生きていれば何とかなるよってことをたくさん教えられました。

 本書の舞台は、タイではなくフィリピンです。

海外で経済的な困窮状態に陥る日本人は「困窮邦人」と呼ばれ、その大半がフィリピンに滞在しているそうです。その「困窮邦人」への取材を重ねて丹念に追ったノンフィクションです。
 
彼らの大半は50歳以上。日本のフィリピンクラブにハマり、日本で誰にも相手にされなくなった自分の前に現れたフィリピン人女性に笑顔でもてなされ、男としての自尊心をくすぐられます。
 
「俺にもまだ輝ける世界がある」と錯覚し、有り金すべてを持って日本を飛び出してしまうのです。
 
フィリピン人女性を追い掛けてフィリピンに渡航したものの、所持金を使い果たしてしまい、金の切れ目は縁の切れ目とばかりに追い掛けていった女性たちに見捨てられた人たちです。
 
一文無しで住むところも仕事もなくてホームレス同然の彼らの面倒を見ているのは、見ず知らずのフィリピン人たちです。
 
所持金がなくても食事を分け与え、見知らぬ日本人男性の面倒を見るフィリピン人たち。
 
しかも、その日暮らしの生活を続ける貧困層がです。
 
日本だったら、路上生活を送る高齢者に近所の住民が食べ物を差し入れることはまずあり得えないし、近寄って話しかけたりすることもないでしょ。フィリピン人たちの寛容さに甘えて生きているのが彼らの現状です。
 
著者は彼らについてこう述べています。

彼らの多くは思い描いた理想と現実の乖離を受け入れられず、「プライド」だけ保っている。だから若いフィリピン人女性に男としての自尊心をくすぐられると舞い上がってしまい、あと先考えずにこの国まで追い掛けてしまうのではないだろうか。そこで今度は「金持ちの国から来た日本人」という新たな「プライド」が生まれる。それは同時に途上国に対する思い上がりや虚栄心に直結していることに彼らは気づいていない。自ら飛び出した先での困窮生活という醜態を両親や親戚、周囲にさらしてしまうため、今さら日本に帰ることものできない。それは「プライド」というよりただの虚栄心だ。

 
彼らは日本での日常に閉塞感を抱え、つかの間の夢を見るようにフィリピンに行ってしまったのだと思います。
 
日本での生活の充実感や家族や友人とのつながりがもっと存在すれば、フィリピンに行くこともなかったのかもしれないと感じました。
 
そして、一度日本でまともな生活をするというレールをはずれ、外国で困窮生活をしている彼らを受け入れる寛容さを日本社会は持っていないのではないかと思っています。
 
そんなことは「自己責任」だろうと感じる人は多いだろうし、僕もそう思います。
 
しかし、著者はこう問いかけます。

人間は本来、弱く、はかない生き物だ。弱い部分があるから人間なのだ。だが、その弱さは、何らかの弾みで時に人を思わぬ方向に導く可能性があることも思い知った。ほんの僅かな弾みで。また、偶然の出会いが人生を大きく変えることもある。それらを全て含めて「自分の現在の姿は自分自身が選んだ結果だ」と言い切る自信は、今のところ私にはない。それでも社会は「否、あなたが選んだ」と囁いているかのようだ。(中略)「選んだ」と断言できる人は、選べる立場にいるからそう言えるのではないだろうか。親や自分の生まれ育つ環境は選ぶことができない。では、選べない中では、幸せは存在しないのだろうか。たとえ貧しい環境に育っても、フィリピン人は家族に囲まれて笑っている。幸せを感じている。少なくとも私にはそう映る。逆に、お金があっても心の底から笑えない、あるいは不幸や寂しさを感じている日本人は、本当はたくさんいるのではないだろうか。その違いは、日本とフィリピンという国や社会的背景の違いだけで片付けられる問題なのだろうか。

本書は、多くの困窮邦人への綿密な取材を通して、貧困や孤独、迷惑な人を切り捨てる日本社会のありかたすべてが彼らの「自己責任」だと言い切れるのかと問いかけてきます。
 
日本の社会に居場所がないと感じる男たち、毎年3万人もの人が自ら命を絶つ国、それらが無関係だとは思えませんでした。
 
僕もそうですが、人間は弱いです。
 
でも、その弱さの部分も含めて自分で選択したことには責任を持つべきだとは思います。
 
親や自分の育つ環境を選べないということはそのとおりかもしれませんが、弱さに流された選択とは別物だと思います。
 
確かにすべてを自己責任ということはできないでしょう。でも全て自分のせいではないという考え方もまたおかしいはずです。
 
そして、幸せの感じ方はとても難しいと思います。それは個人個人の生き方に直結しているからです。「自分はどう生きたいのか」それがなければ居場所も幸せも見つからないと思います。
 
本書を通して印象的だったのは、困窮邦人の多くが困窮しているにもかかわらず、日本で暮らしていた時よりも幸せそうに思えたことです。本書のタイトルは「日本を捨てた男たち」です。彼らは生きづらい日本を自ら捨てたのであって「日本に捨てられた男たち」ではないのかもしれません。
 

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