[ま]好きな人とか嫉妬とか伝えきれない言葉とか @kun_maa
好きな人がいます。
その人に自分の気持ちを伝えようと思うんだけど、言葉にするとそれはなんだかとても平凡で、自分の心の中を正確に表しているとは思えずいつもしっくりする言葉を探しています。
どんなに言葉を探しても選んでも、気持ちの全てを伝えることなんてやっぱりできないから細切れの言葉ばかりが虚しく僕の口からこぼれては落ちます。
僕の拙い言葉からでもなんとか彼女に気持ちが伝わってほしいと願ってしまう自分が確かにそこにいて「ああ、やっぱり僕はこの人のことが好きなんだな」って感じます。
逢いたいとか好きだとかさみしいだとか。言葉にするとやっぱり物足りない。
気持ちはもっとたくさんの想いを抱えているのにどうやったって伝えきれません。
それでも僕は毎日そんな言葉たちをあなたに伝わってほしいと願いながらつぶやき続けているのです。
君の過去には嫉妬しないよってあなたに言われて、あまり僕のことを好きじゃないのかなって少しだけさみしさを感じました。あなたにとって僕は嫉妬にすら値しない存在なのかなって。
僕も嫉妬しないように気をつけるよって言葉では返したけど、やっぱり僕は過去のあなたにも今のあなたにも少し嫉妬しています。
僕の世界は愛とさみしさと無関心でできているから偏っていてどこかおかしい。
連絡が来ないからって落ち込んで、「さみしい」なんてつぶやきながら心の片隅で楽しそうにしているあなたと誰かに嫉妬している自分が嫌いです。
あなたのことを好きだと想う心だけでいいのになぜ嫉妬まで一緒に心に入り込むのでしょうか。
あなたのことを好きになって自分の弱さがとてもよくわかります。
だからもっと強くならなくちゃって思うんだけど、そのままでいいよって、さみしいときはさみしいって言っていいんだよって言ってくれるあなたに甘えてしまう自分のことは嫌いではありません。向上心のない自分勝手なわがまま野郎。
あなたのことが大好きなのに心のすべてをうまく伝えきれずに、くだらない嫉妬心を抱えながら今日も僕はあなたのことが大好きです。
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[ま]うつ病放浪記/よい医師を見つけること、そして自分の生き方を変えること @kun_maa
僕は自分のうつ病の症状がよくなってきてからは、うつ病に関する本をなるべく読まないようにしていました。
理由は単純にその手の本を読むと自分の辛かったときのことを思い出してしまうのが嫌だから。
では、なぜこの本を手に取ったのか。
それはタイトルに魅かれるものがあったからです。「放浪記」という表現に。
ノンフィクション作家である著者が長年の不定愁訴や呼吸困難、激しい動悸などの身体症状に悩まされた挙げ句、その原因がうつ病であったことを知り、いい医師と出会うまでの顛末を時にユーモラスに、でも切実な問題としてうつ病の診断までの紆余曲折な展開といい精神科医と出会うことの大変さについて書いています。
その様子は、まさに「放浪記」です。
実際に読んでみて暗い気持ちにならずに素直に入り込めたのは、著者の文章に対する姿勢のおかげかもしれません。
僕自身も身体症状から不調が始まったので、何の病気なのかがわからず著者ほどではありませんが内科や耳鼻科などを転々としていろいろな検査を受けました。
最初に身体症状が出た人の多くは同じ経験を持っているのではないでしょうか。
著者は自分の経験が同じように苦しんでいる人の役に立てばという思いで本書を綴ったといいます。
この本を読むとうつ病というやっかいな病気について、また、まともな精神科・心療内科に出会うことの難しさと大切さについてよくわかります。
一発でいい医師に出会えた僕なんか幸せな方だと思いました。
著者自身の経験に加えて、他のうつ病患者への取材や主治医との対談(さすがノンフィクション作家だと思いました)、自分なりに考えたうつ病とのつき合い方についても書かれていて、それらはとても参考になります。
変に暗くならず、かといっておちゃらけているわけでもなく真摯にうつ病と向き合う姿勢に勇気づけられます。
最後の章に書かれている「うつ病を生き抜くための六ヶ条」というものがあります。
一見、人生をあきらめることを推奨しているようにも見えますが真意はそんなところにはなくて、実はとても大切なことではないかと思います。
ここではタイトルだけをご紹介しましょう。
もし興味を引かれる部分があれば、実際に本を読んでみることをおすすめします。
その1:しょせん自分はたいした人間ではないということに気づいたほうがいい。
その2:仕事だけに人生のすべてを賭ける生活はもうやめよう。
その3:お金持ちになれば、すべての問題が解決すると考えるのは大誤解だ。
その4:人間関係における不良債権を、この際、思い切って整理する勇気を持とう。
その5:自分の周囲に起きた悪いことを、すべてうつ病のせいにしてはいけない。
その6:熟年女性のうつ病患者への、ちょっとお節介なアドバイス。
僕は、その1、その2、その5の主張にとても共感しました。
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[ま]母の日にカーネーションを贈る/照れくさいけどな @kun_maa
5月の第2日曜日は母の日。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
僕は先ほど母にカーネーションの鉢植えを贈りました。
母の日にはなぜカーネーションなのかって理由は知りませんけど、やっぱり花屋の戦略ですか?バレンタインデーのチョコみたいなもんですか。違ったらゴメンなさい。
毎年母の日にカーネーションの鉢植えを贈るようになって4年目。
最初は「どうしたの?あんた大丈夫?」ってひどく驚いていた母もようやく慣れて、普通に「ありがとうね」って受け取ってくれるようになりました。
特に他のものが欲しいとのリクエストもなく、母は花を育てるのが好きなのでそれなりに喜んでもらっているようです。
母の日にプレゼントを贈るようになるきっかけを作ってくれた彼女はもう僕のそばにはいないけど、僕はこれからも忘れずに母にカーネーションを贈り続けます。
それが花屋の思う壺だとしてもいいじゃない。
僕は相変わらず別れと出会いを繰り返している親不孝者ですが、両親とはまだまだ別れたくはありません。
母さんにも毎年花を贈りたいし、ちゃんと大事にしたいので父さん同様に元気で長生きしてください。
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[ま]好きだと言われるととてもうれしい @kun_maa
普段ほとんど他人から好きだと言われることがありません。自分で自分のことはけっこう好きなんですけどね。不思議です。
逆に嫌いだと言われることもないので、きっと僕なんて誰からも興味を持たれないのかもしれません。路傍の石のごとき存在感。
考えるほどに悲しくなります。考えるのやめた。
ところが最近驚いたことに好きだと言われることが続けてありまして、これがとってもうれしくてうれしくて。
正確には「ファンです」って言われたのでニュアンスは微妙に違うかもしれませんが、僕の脳内では「ファン=好き」という自動変換が行われるので問題ありません。
あんまりうれしいから誰もいないところで思い出して小躍りしました。恥ずかしい。
ブログのファンだと言われた
細々と続けているこのブログ。もちろん一番のファンは僕自身だと思っているのですが、先日ある読者の方に「ファンです」って言及されてすごくうれしかったなあ。
アクセス数が落ち込んだり書く情熱を失いかけたりしている時だったので余計うれしかったんです。タイに関する過去記事なんかもよく読んでくれたみたいですごくうれしくてさ。
自分以外の人にブログのファンですって言われたの久しぶりすぎて切ないという点はさておき、うれしいからもう少し続けてみようかな...なんて思ったのは本当のこと。
やっぱり好きと言われるのって生きる原動力になるよね。
以前の部下にファンだと言われた
先日出張した先で以前僕の部下として働いていた女性に偶然会いました。
立ち話で近況や以前の仕事の話などをしたのですが、その際に「まーさんのファンなので早く偉くなって戻ってきてくださいよ」って言われて驚きました。その職場はずっとそこで働くプロパーと僕みたいに出向してきて短期間管理職をやる職員で構成されていてその女性はプロパーの職員でした。
一緒に働いている時にはそんなこと言われなかったのにさ。
でも思い返したら社員の構成上なかなか人間関係が難しい職場なんだけど、僕には協力的な人が多くて(もちろん全員ではないけど)けっこう助けられたなあって思い出しました。とはいえ、いわゆる社交辞令なんでしょうけど。
僕が「戻りたいのは山々なんだけどお偉いさんが戻してくれないんだよ」って言うと「まーさんは(以前の職場に)ファンが多いから大丈夫ですよ」って言ってくれてさ。
社交辞令でもいいんです。うれしかったなあ。
もう少し仕事も頑張ってみようかと(ちょっとだけ)思いました。社交辞令万歳!
Instagramの写真のファンだと言われた
僕はビアバーで飲んだクラフトビールの写真をInstagramにアップしています。ってかそればっかりなんでアル中なんじゃないかってくらいビールの写真だらけです。
例えばこんなやつね。
昨日も2件のビアバーをひとりでハシゴしたんですけど、2件目のお店である人から声をかけられました。その人は以前から何度か別のビアバーで顔を合わせたことがある男性なんだけど、その日は彼女と一緒に来てました。その彼女にも以前一度顔を合わせているんだけど、その時彼が連れていた女性と同じ人だって確信がなくて挨拶されたのに曖昧に笑って誤魔化してしまった。だって違う人だったら気まずい空気になっちゃうからさ。気をつかったんだよ一応。
それはさて置き。
彼らは僕がInstagramに上げた写真をたどってここまで来たんだと言います。
僕のビール写真のファンで以前から気になっていたそうなのですが、僕のInstagramのアカウントと僕自身が同一人物であるという確信が得られなくて、それを確かめるために僕がハシゴした2件の店を追ってきたそうです。ある意味ストーカーw
僕の写真なんてiPhoneで撮っているだけなんだけど、それでもファンです、好きですって言われるとやっぱりうれしいものです。
ましてや僕の行動を追っかけて店まで来てくれるなんてうれしすぎる。
でももし僕が女性だったとしたら、それはそれでかなり怖い展開も予想されるので、女性はくれぐれも位置情報を載せた写真を気軽にアップしない方がいいですよ。
リアルタイムで行動を追うことができてしまいますから。
そんなわけで短い期間に3回も好き(ファン)と言われて、ひとりでむふふってなったというお話。
好きだと言われるととてもうれしいです。好きだと言われるととてもうれしいです。
大切なことなので2回書きました。
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[ま]映画「親愛なるきみへ」/ラブストーリー?いやいや別の視点がいいんです @kun_maa
<あらすじ>
- 作者: ニコラス・スパークス,Nicholas Sparks,雨沢泰
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2011/09/17
- メディア: 文庫
- クリック: 2回
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2人が出会い、恋に落ちていく2週間はその映像の美しさも含めてとても繊細に描かれていて、恋のときめきを画面全体から感じる印象的な作品です。
僕が撃たれたとき、薄れ行く意識の中で僕の頭に浮かんだものは、コインだった。
僕は1980年に製造された、アメリカ陸軍の兵士だ。
けれど、穴が2つ開いて、僕は不良品になった。
2010年アメリカ映画
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[ま]どうせいつかは死ぬのだから @kun_maa
突然の嫌な別れが訪れて、やけ酒ぎみにひとりでクラフトビールを10パイントも飲んで久しぶりにボロボロの二日酔いになってみたり、仕事環境が変わってなかなか馴染めなかったり、自分でもびっくりするような心境の変化があったりとどうにも心理状態が不安定な今日この頃です。
何気なく聴いたいつもの音楽にホロリと涙したり、人恋しくて見上げた夕焼け空にため息をつきながらどうしようもない切なさに包まれたりしてなんでこんな気持ちになるんだろうとわけもわからずメランコリック。
気がつけば諸々の人間関係に翻弄されて疲弊したり憤ったりなぜかとっても辛くなったり。
いったい僕は何をやっているんだろう...どうしたいんだろう...なんて自分に問いかけてみたところで易々と答えが出るわけもなく、途方に暮れながら今日もクラフトビールに逃げ道を見出す。モラトリアムな酔っ払い。
本当は気を紛らすために美味しいビールを道具として使いたいわけではなくて、やめればいいのにって散々思いながらそれでも酔いの先にある忘却と高揚感に依存してしまう己が弱さに半ばうんざりしている。
それでも死んでしまいたいだの、消えてしまいたいだのと思わなくなったのはうつが良くなってきたのか加齢による図々しさの賜物か。
僕には誰も幸せにすることなんてできないんだと自分を卑下しながら、それでも幸せにしたい人がいたりして、人生なんていつまでたってもなかなか悩ましいものであり続けるようです。
もともと人生なんてものに意味はなくてただ生きているだけで儲けものくらいに思っていれば大抵のことには動揺したりがっかりしたりすることもなく生きていけるとはよく聞きますが、そう思い込もうとしている自分に気がつくとそれはそれで自己嫌悪に陥ったりするので油断がなりません。
こんな時こそ瞑想と運動だろうと思ってみても、瞑想の習慣をすっかりなくしてしまった僕には瞑想そのものが微睡みの時間と化してしまい何てダメなやつなんだと落ち込むもとになったりしてます。
週末の運動は続けているけど土日だけじゃあたかが知れたもので、不安定な気分を昇華させるほどの熱量は発散できず。
どうせいつかは死ぬのだから、もやもやと考え込んだり落ち込んだりしていないで自分の生きたいように生きればいいじゃんって思うんだけど...思うんだけどそこまで割り切れないのが僕の弱さか。刹那的に生きたいと思っているだけで止まるチキン。
もういっそのこと全部投げ出して心のままに生きたいと思う回数が増えてきて、それはきっと悪いことではないのだろうと思うけど、それでもその一歩が踏み出せずに奴隷道徳がしみこんじまった僕は今日もルサンチマンを抱えこんで自分の人生を呪うのが関の山。
あゝそれでも人生は今日も続く。君には嫌われたくないんだと支離滅裂なことを書き殴りながら。
いったい何が言いたいんだ、まったく。ネガティブか。ネガティブだ。
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