[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]どうせいつかは死ぬのだから @kun_maa

突然の嫌な別れが訪れて、やけ酒ぎみにひとりでクラフトビールを10パイントも飲んで久しぶりにボロボロの二日酔いになってみたり、仕事環境が変わってなかなか馴染めなかったり、自分でもびっくりするような心境の変化があったりとどうにも心理状態が不安定な今日この頃です。

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何気なく聴いたいつもの音楽にホロリと涙したり、人恋しくて見上げた夕焼け空にため息をつきながらどうしようもない切なさに包まれたりしてなんでこんな気持ちになるんだろうとわけもわからずメランコリック。

気がつけば諸々の人間関係に翻弄されて疲弊したり憤ったりなぜかとっても辛くなったり。

いったい僕は何をやっているんだろう...どうしたいんだろう...なんて自分に問いかけてみたところで易々と答えが出るわけもなく、途方に暮れながら今日もクラフトビールに逃げ道を見出す。モラトリアムな酔っ払い。

本当は気を紛らすために美味しいビールを道具として使いたいわけではなくて、やめればいいのにって散々思いながらそれでも酔いの先にある忘却と高揚感に依存してしまう己が弱さに半ばうんざりしている。

 

それでも死んでしまいたいだの、消えてしまいたいだのと思わなくなったのはうつが良くなってきたのか加齢による図々しさの賜物か。

僕には誰も幸せにすることなんてできないんだと自分を卑下しながら、それでも幸せにしたい人がいたりして、人生なんていつまでたってもなかなか悩ましいものであり続けるようです。

 

もともと人生なんてものに意味はなくてただ生きているだけで儲けものくらいに思っていれば大抵のことには動揺したりがっかりしたりすることもなく生きていけるとはよく聞きますが、そう思い込もうとしている自分に気がつくとそれはそれで自己嫌悪に陥ったりするので油断がなりません。

 

こんな時こそ瞑想と運動だろうと思ってみても、瞑想の習慣をすっかりなくしてしまった僕には瞑想そのものが微睡みの時間と化してしまい何てダメなやつなんだと落ち込むもとになったりしてます。

週末の運動は続けているけど土日だけじゃあたかが知れたもので、不安定な気分を昇華させるほどの熱量は発散できず。

 

どうせいつかは死ぬのだから、もやもやと考え込んだり落ち込んだりしていないで自分の生きたいように生きればいいじゃんって思うんだけど...思うんだけどそこまで割り切れないのが僕の弱さか。刹那的に生きたいと思っているだけで止まるチキン。

もういっそのこと全部投げ出して心のままに生きたいと思う回数が増えてきて、それはきっと悪いことではないのだろうと思うけど、それでもその一歩が踏み出せずに奴隷道徳がしみこんじまった僕は今日もルサンチマンを抱えこんで自分の人生を呪うのが関の山。

 

あゝそれでも人生は今日も続く。君には嫌われたくないんだと支離滅裂なことを書き殴りながら。

いったい何が言いたいんだ、まったく。ネガティブか。ネガティブだ。

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[ま]映画「ヘルプ〜心がつなぐストーリー〜」/これはガチでいい映画 @kun_maa

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特に期待をしたわけでもなく、なんとなく手に取った映画がすばらしいものだと、すごく得した気分でうれしい気分になりませんか。
 
僕にとってはこの「ヘルプ〜心がつなぐストーリー〜」がそうでした。

ヘルプ ~心がつなぐストーリー~ [DVD]

 
観終わった後に知ったのですが、この作品、公開当初はほんの少数の映画館でしか公開されなかったにもかかわらず口コミで大ヒットした映画なんだそうです。


原作は世界で1130万部突破のキャスリン・ストケットのベストセラー小説。

そんなことも知らなくてなんだかどうもすいませんって感じです。
 
ちなみに、アカデミー賞で6部門にノミネートされ助演女優賞を受賞したのをはじめ、全米の映画賞を席巻したとかしないとか。いや、したんだけどね。
......だって知らなかったんだもん。しょうがないじゃん。
 
でも、そういう予備知識無しで観たから余計に感動したのかもしれません。
 
この作品の舞台は1960年代のアメリカ南部、ミシシッピ州ジャクソン市。
そこは、黒人と白人との隔離政策が当たり前のように行われている土地です。

<あらすじ>
1960年代のアメリカ南部。
大学から故郷に戻った作家志望のスキーター(エマ・ストーン)は、“ヘルプ”と呼ばれる黒人メイドを差別する白人上流社会に疑問を抱き、メイドのエイビリーン(ヴィオラ・デイヴィス)に取材を申し込む。
初めは頑なに断るが、親友のメイド、ミニー(オクタヴィア・スペンサー)を巡るある事件をきっかけに、重い口を開きはじめるエイビリーン。
社会からの報復を恐れながらもスキーターの執筆に協力する彼女たちの“心の声”は、やがて一冊の本となり世の中に驚くべき変革をもたらすことに―。
                     (作品公式ホームページから引用)

黒人差別が激しいと言われるアメリカ南部でも、特に差別がひどいというミシシッピ州。黒人の子供が一度でも使った教科書は白人の子供が使うことは許されず、白人専用タクシーが存在し、建物の入口も別、トイレも同じものを使用することは許されません。
 
この作品が扱っているテーマはすでにお分かりかとは思いますが「人種差別」というとても重いものです。
それにもかかわらず全編を通して決して暗くならず、むしろ明るく楽しい印象を受ける作品です。

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だからといって人種差別というテーマそのものを軽く扱っているわけではありません。
あくまでもシビアに、そして理不尽な差別についてしっかりと描いています。
 
そこがこの作品のすばらしいところで、1960年代当時のファッションや町並みのカラフルさ、主要人物の人物描写、ストーリー展開のどれもが優れているために明るい雰囲気を醸し出すことができているのだと思います。

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暗く重いテーマをくすんだ色でシビアに悲壮感漂わせて描くことはある意味簡単なことでしょう。
 
しかしコメディかと思わされるような明るさと、ややオーバーアクション気味の演技、笑いまでもを織り込んで、これだけ感動的に作り上げるのは並大抵のことではないと感じました。

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偽善と傲慢に満ちた白人上流社会を痛烈に批判しながらも、それを変えていくのは小さなひとりひとりの勇気であることをユーモアを交えながら教えてくれる素晴らしい映画です。
 
おっちゃんすっごく感動しちゃって、なんだか大切なものを教えてもらいました
 
あと主演のエマ・ストーンはやっぱりいいです。エマ・ストーン好きです。 

 

原作はこちら。 

ヘルプ―心がつなぐストーリー〈上〉 (集英社文庫)

ヘルプ―心がつなぐストーリー〈上〉 (集英社文庫)

 
ヘルプ―心がつなぐストーリー〈下〉 (集英社文庫)

ヘルプ―心がつなぐストーリー〈下〉 (集英社文庫)

 
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[ま]言葉の力と依存と表現力と @kun_maa

言葉を信じて、信じた言葉に裏切られて、傷つけられてもうダメだと思ったところで、また別の言葉に助けられてその言葉に勇気付けられて立ち直る。

言葉を発するのが人間ならば言葉で僕を切りつけるのも人間だ。

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言葉を交わしながら丁寧に積み重ねて人間関係を築いたつもりでいても、いきなり登りかけの梯子を外してどん底に叩き落すのが人間の発する言葉の仕打ちなら、叩き落とされてボロボロになった僕を拾い上げて再び立ち上がらせてくれるのも人の言葉。

 

ひとりには慣れているけど、ひとりで再び立ち上がるには多くの時間が必要だったと思う。それなのに自然に僕に向けられた言葉が僕の傷を癒してくれた。言葉に切りつけられた傷を癒すのも言葉の力。

心が触れ合って確かに理解されているという感覚が生まれた。そしてそれは今も続く。人を傷つけるのが言葉ならば人を生かすのも言葉......久しぶりにそんなことを実感している。

 

また人を信じてみようとごく自然に思わせてくれた言葉の数々とそれらの言葉に囲まれた人間関係に身を委ねて自分のこともまた信じてもらえているという安心感。

もし裏切られたって構わないやという爪楊枝ほどの強がりと、そんなことあるわけないよという過度な期待を抱えながら、交わされる言葉の渦の中に僕は嬉々として自ら飛び込みそのあまりの心地よさに微睡む。

 

言葉が根源的にもつ複数の意味から生じる誤解性とそれぞれの人間が有するバイアスを経てもなお分かり合えているという感覚。共同幻想かもしれない繋がりに僕の自我は溶け込んで、ひとつになる快感から逃れられなくなっていく。

自我なんてものも所詮は幻想ではないのかと心の奥で疑いながら、自我なんてものがあると思うから辛いんだよと毒づきながら、それでもやはり人と言葉を信じているのだ。

言葉の力を信じたいのだ。それが言葉への依存だとしても。

言いたいことを言葉にした途端に色褪せてしまう表現力の無さに愕然としながらも。

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[ま]心にナイフをしのばせて/少年事件と「更正」について考えさせられるノンフィクション @kun_maa

もうかなり前のことになるが、2014年7月26日、佐世保市の公立高校に通う女子生徒が同級生の女子生徒によって殺害された。警察によると遺体は首と左手首が切断されていたということだ。マスコミで大きく報じられたので事件の概要はみなさんご存知のことと思う。

この事件の報道を見てすぐに思い出したのは、同じ佐世保市内で2004年に起きた小6女児同級生殺害事件と1997年に神戸で起きた酒鬼薔薇事件である。

どちらの事件もその異様さと少年法の抱える問題点が話題となり、センセーショナルに報道された。この2つの事件については覚えている人も多いだろう。

しかし、それらの事件よりもはるか以前の1969年に川崎市の私立サレジオ高校で、入学したばかりの生徒が同級生に惨殺され、その頭部を切断されるという事件があったことをご存知だろうか?

心にナイフをしのばせて (文春文庫)

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僕は本書を読むまで、この事件のことはまったく知らなかった。1969年というと、僕が3歳の頃で、世間的には学生運動の嵐が吹き荒れていた時代である。

事件の発生は1969年4月23日午後4時すぎ、事件現場は学校の裏手のつつじ畑。

殺害されたのは同校に入学したばかりの高校1年生加賀美洋君である。

当初、日本刀を持った見知らぬ男たちの犯行という報道もされたようで、本書にも次のような記述がある。

当時の新聞報道は、少年Aがこう語ったと記している。

<男がいきなりぶつかってきた。ブスッという音がしたとたん、左側にすわっていた加賀美君が血だらけになって倒れた。ぼくは夢中で逃げ、東名高速道のガードにとまっていた乗用車に助けてもらった。学校に来て初めて左腕を切られているのに気づいた。襲った男たちは顔を見たこともない>(1969年4月24日「読売新聞」)

しかし、現場近くの住民の目撃情報などから犯人はこの「少年A」であることがすぐに判明する。警察が発表した解剖所見によると、胸部12カ所、背中7カ所、頭部12カ所、顔面16カ所の計47カ所をめった刺しにされていたという。

そして少年Aは加賀美君を殺害した後に左手で頭部を押さえ、肩から水平に頸部を切り落とした。

 

少年Aは殺害した加賀美君とは中学時代からの同級生であり、殺害理由は加賀美君とその友人らによる「いじめ」に対する復讐(少年Aの主張)とのことだが、その他の証言からは「いじめ」の実態は浮かび上がらない。

少年Aは複雑な家庭に育ったらしいが、だからといって人を殺していい理由にはならない。

 

取り残された加賀美君の遺族は家庭崩壊こそ免れたものの、その一歩手前を危うい状態で生き続けてきた。両親も妹も心に癒えることのない傷を負い、それぞれに苦しみながら事件後の数十年を生きた。

 

本書の大部分は、この加賀美家の人々とその周囲の人たちへの取材により構成されている。読み進めるのが辛くなるほどに被害者家族の負ったものは大きい。そして数十年経った今でも決して癒されることはないのだ。

 

その一方で、少年Aに関する記述の大半は裁判記録によるものとなっている。被害者の話ばかりを取材して加害者の取材を行わないのは不公平ではないかと、あなたは思うだろうか。著者が加害者への取材を積極的に行わなかったことには3つの理由がある。

1つ目の理由は、過去にこうした異常な事件が起こった場合に加害者のことは語られても被害者の遺族に関心を向けられることがなかったことからきている。微力ながら遺族の声を代弁できないかと考えたことである。

2つ目の理由は少年法の壁である。少年Aは犯罪を犯したとはいえ少年法により厚く保護され「更正」の道を歩んだ。連絡先を知ることも難しい。

そしてたとえ少年Aの居場所がわかったとしても彼のその後を知るためには周囲の人間への取材が欠かせないが、そのことは既に「更正」している少年Aが殺人犯であることを周囲に知らしめることとなってしまう。少年法第60条に次のように定められている。

少年のとき犯した罪により刑に処せられてその執行を受け終り、又は執行の免除を受けた者は、人の資格に関する法令の適用については、将来に向つて刑の言渡を受けなかつたものとみなす

だから、少年の犯罪は「前歴」にはなっても「前科」にはならないのである。少年院で刑に処せられた少年Aのプライバシーは法的に保護され、過去を知らない人々にAの過去を知らせることはできないのである。

当時、少年院への収容期間は最長5年間だった(今は撤廃されている)。しかし実際の運用では、その当時の少年院の最長収監期間はわずか2年5ヶ月である。

人を殺してもそんなわずかな期間自由を奪われるだけで、その後は国によって新たな人生のスタートが約束されるのである。うかつに取材活動はできない。

3つめの理由はこうだ。著者はもしAのことを詳細に取材することができたとしても、Aの「心の闇」を理解することはできないと感じていたからだ。そのことについて次のような表現をしている。僕も基本的にその考えに賛成である。

神戸の「酒鬼薔薇」事件のように、異常な事件が起こると、われわれはさまざまな角度から、犯人の心理を忖度しようとする。しかし私は、異常な犯人の心理など到底理解できるはずがないと思っている。異常な心理を理解できるのは、その人が異常だからだ。普通の人にできるのは理解する努力をするまでで、われわれには努力をしてもその先に空疎な闇が広がっているだけで、わかり得るはずがないのである。

だから、著者はとことん被害者遺族に寄り添った。辛い心情やトラウマ、事件後の人生のすべてを書き出すかのように。

犯罪を犯したAがその人生をリセットして国の保護のもと大学を卒業し、弁護士となりその人生を謳歌している一方で、被害者遺族は40年以上もの間苦しみ抜き、心に深い傷を負い人生をめちゃくちゃにされたともいえる。

そして示談で支払われることになっていた微々たる慰謝料も払われることはなく、Aには事件のことを謝罪する気持ちすらまったくない。

これが、本当に正しい「更正」の在り方なのだろうか?

著者は最後にこのように述べている。僕も同感である。

ごく単純なことだが、Aが「更生した」といえるのは、少なくとも彼が加賀美君の遺族に「心から詫びた」ときだと思う。「更正」とは、そのとき遺族が加害者のAを許す気持ちになったときにいえる言葉ではないだろうか。

もちろん少年法は、遺族に謝罪することを義務づけてはいない。それゆえ、法律上は彼が謝罪しなかったからといって非難される筋合いのものではない。だが、どこかがおかしい。少年法を盾に、加害者もその親も責任を免れるとしたら、やはり少年法のどこかが間違っているのだ。

やはり何かがおかしい、間違っている、そう思わざるを得ない。

そして酒鬼薔薇事件でも取りざたされたこのような少年犯罪の「更正」の在り方が、これからも変わらず、同じような事件で繰り返されていくのだろうかと思うと心底やりきれない。  

心にナイフをしのばせて (文春文庫)

心にナイフをしのばせて (文春文庫)

 
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[ま]ハーゲンダッツの期間限定「ストロベリーカスタードタルト」を喰らう @kun_maa

2017年4月11日発売だったみたいです。ゆるい断糖ダイエットを続けているのでスイーツ系のチェックには余念がありすぎて要するにノーチェックなのです。

それは〜♪いいことだろ〜♪( ´θ`)ノ(古すぎて誰もわからないな...)

ってことでハーゲンダッツの期間限定「ストロベリーカスタードタルト」。

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ゴールデンウィークってなにそれ美味しいの?ってくらいほとんど家に引きこもっていたので、せめて最終日くらい美味しいものを食べてもいいよね、ママン。

ハゲのいちご系にハズレなしっていうくらい鉄板の組み合わせにサクサクのグラハムクッキーが入っているのですからこれが不味いわけがない。

ハーゲンダッツをハゲと略すとハゲの人によく怒られるのですが(あっ!ハゲの人って書いちゃったよ)、このハゲは卵とミルクの風味がとってもふくよかで、さらに発酵バターを加えているのでとても濃厚です。毛が薄いハゲとは違って薄くないんです。濃いんです。

......つい興奮して流れが妙な感じになってしまったので方向修正します。前言は消さないけどさ。

 

種類は安定の「アイスクリーム」です。

ハゲのアイスクリームは高いだけにいつも美味しくあらねばならない、美味しくて当たり前というプレッシャーに耐えているのにハゲないなんて( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン

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カロリーは 1個(110ml)当り 250kcal と普通のストロベリーの 236kcal に比べれば少しだけ高めかな。

グラハムクッキーが入っていたり、発酵バターを使っているからでしょうか。でもちょっとくらいカロリーが高くても僕は濃厚なアイスが好きだからいいんです。果汁・果肉13%ってのもけっこう贅沢なんじゃないの。さすがハゲ!

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バターの風味が感じられる濃厚なカスタードアイスクリームにいちごの甘酸っぱさと、グラハムクッキーのサクサクとした食感が合わさると完全に僕好みの味わい。

まるでハゲが僕のために作ってくれたんじゃないかというくらい美味しい。

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ワシワシと掘り進みながら喰らっていきます。幸せ〜♪

断面はこんな感じな。

ストロベリーソースとグラハムクッキーが思ったより入っていてさすがハ(ry

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110ml のミニカップじゃ物足りない感じで終わるところがまるで小悪魔に焦らされているようで恋い焦がれてしまいます。ハゲの思う壺。

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期間限定なんで、ストロベリーカスタードタルト美味そー!って思った人は急いでコンビニへGO !!! たぶん期待は裏切らないハゲの実力。

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[ま]父と酒を飲む/そのきっかけと両親との時間 @kun_maa

僕の父は今年80歳になった。

3年前から父母の誕生日と父の日、母の日には贈り物をするようになった。

それまでの僕は本当に親不孝者でいつも心配ばかりかけてきたというのに、初任給は自分のためだけに使い切ったし、これまで両親にプレゼントを贈るなんて考えたこともなかった。

そんな僕を見かねて「もっと両親を大切にしなさい」と彼女に言われたから3年前から渋々始めた年に2回ずつのプレゼントだが思いのほか喜ぶ両親を見ていると、もしかしたらずっとこういう僕の行動を待ち望んでいたのかもしれないなって思う。

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昨日は誕生日に贈ったいも焼酎の「魔王」を父親と飲んだ。

僕の父はいつも仕事が忙しくて子供の頃にはほとんど一緒に遊んだり話をしたりした記憶がない。僕が成人してからも親の相手をするのはめんどくさいって思っていたからロクに飲んだりしたこともなかったんだ。

毎年2回のプレゼントを父の好きな焼酎にしてからようやく一緒に飲むようになって、昔の仕事の苦労話などを懐かしそうに話す父の酔った姿を目にするようになった。

 

昨日も終始ご機嫌で昔話をする父の姿を見ながら、自分の知らない父の一面をあらためて知ることができるという楽しみと、もっと早くこうしていればよかったという悔恨の後ろめたさを感じながらも楽しい時間を過ごした。

 

最初に書いたように僕の父はもう80歳だ。59歳の時に胃癌を患って胃の3分の2を切除しているのだが、そんなことを全く感じさせない健康体である。それでも残された時間はそれほど多くはないだろう。

こうしてあと何回一緒に楽しく飲めるのかと思うと本気で過去の自分を叱り飛ばしたい気持ちになる。なんでもっと一緒にこういう時間を持とうとしなかったのか。そして親不孝な僕を叱ってくれた彼女に感謝してもしきれない。

 

終始上機嫌で若い頃の話をする父の姿を見て、こんなに楽しそうな父の姿を見るのはこうして一緒に酒を酌み交わしている時だけだなって思った。

同席していた母が「お父さんは本当にうれしいんだよ」とポツリと呟く。

 

死ぬときは寝たきりになんてならないでポックり逝ってくれよという僕に「ばかやろー」と言いながらうれしそうに笑う父の顔を見ていると、すっかり遅くなってしまったけれど、これからはできるだけ一緒に飲む時間を持とうかなんて柄にもないことを考えている自分に気がつく。

 

もっともっと自分の知らない父を聞かせて欲しいと思う。そういえば母の若い頃のことも僕はほとんど何も知らない。母は酒をほとんど飲まないのだが今度は母とも酒を酌み交わしてみようか。

 

僕はこんな歳になるまで親とそんな時間を過ごさずに来たことを正直後悔している。

僕がどんなに自分勝手な行動をしても、病気で潰れて最悪の状態の時も常に温かく見守ってきてれた両親に対してやっと少しずつ恩返しをはじめられたのかもしれない。

そして僕にそんな両親との時間を作るように本気で叱ってくれた彼女にも感謝している。そしてつい先日別れてしまった彼女にできることなら伝えたい。

ちゃんと君に言われたとおり両親に贈り物をして一緒の時間を持つようにしているし、これからも続けるよって。

 

それでも人生は続く...

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